10/06/07 21:59:43
>>231
まあ、かなり穿った批評だったけど、結局人間はみな同じもの。
信憑性があるとは必ずしも言えない。女性の本質を言い当ててはいない。
百濟觀音ホームページの名言集にも書いたけど、
「人は女として生まれてくるのではない。女になるのだ」
のボーヴォワールの言葉の方が正しい。
昔のピアノサークルの後輩の女の子と高田馬場の
駅前のビルで偶然出会ったわけよ。
当方がサークルを辞めた後で。
それで
コーヒーでも飲もうかと誘って、喫茶店で話していたときに、吐露するように
出てきた言葉である。
彼女悩んでいた様子だったよ。
彼女も敬虔なクリスチャンだったから、いろんな葛藤があったようで。
ただの友達に使える言葉ではないよ。
当方が他の構成員からバッシングを受けたときには、心配して茨城阿見の
実家まで電話してくれてね。
高田馬場から20分、彼女と寄り添うように歩いた。そして学内の大隈重信翁
の銅像の前で別れた。それが彼女との永遠の別れとなってしまった。
大阪で女子高の国語教師をしていると他の友人から聞いたけど、今では
教師も辞めて幸福な家庭を築いたかもしれないね。