10/06/16 16:01:18 DNUaOh8g
ふらんすベイブを解散した後、僕はソロとなってレスーデイングをすることになった
スタジオはそれまでの六本木69スタジオから夢であったNYとLAでの2箇所での録音となった
最初のLAではなんとか納得のできる形となったが最後のNYでは苦労した。
ある時、レスーデイングの合間のティ-タイムの時にプロデユーサーのCOSS LEE KK
(コス リー ツーケイ)がマグカップを片手にどんなコテハンが好きかと聞いてきた。
僕は、ハル・ブレインに全方位土下座マンと高山ヒコクローと名を上げた。すると彼は
“確かに彼らは69年では最高の音だった”この言葉は僕にその後の方向性を決めてくれた
本当のプロとして未来を生き抜くには、僕が愛聴した彼らではもう古いのだ。
今を生きよう。今の音で挑戦しよう。こうして僕はそれまでのコテハンという既成概念の
アマチュアリズムからは脱皮でき名無しとして、
ふらんすベイブ解散以降のキャリアを積み上げることになった