09/10/01 17:39:56 IkNHjXQE
お聞き下さい。半年まえのことでした。
あの人は、京都の居酒屋で追いコンをしていた時に「上が面白いことに…」そう言った時に、あの人の青白い頬は幾分、上気して赤くなっていました。
私はあの人の言葉を信じません。れいに依って大袈裟なお芝居であると思い、平気で聞き流すことができましたが、それよりも、その時、あの人の声に、また、あの人の瞳の色に、いままで嘗つて無かった程の異様なものが感じられ、
私は瞬時戸惑いして、更にあの人の幽かに赤らんだ頬と、うすく笑いを堪えた口元とを、つくづく見直し、はッと思い当たることがありました。
ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極のことであります。
あの人はこんな下級生に恋、では無いが、まさか、そんな事は絶対に無いのですが、でも、危ない、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか?
あの人ともあろうものが、あんな下級生ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたのであれば、それは、なんという失態。取りかえしの出来ぬ大醜聞。
私はひとの恥辱となるような感情を嗅ぎわけるのが、生れつき巧みな男であります。自分でもそれを下品な嗅覚だと思い、いやでありますが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまう鋭敏の才能を持って居ります。
あの人が、たとえ微弱にでも、あの下級生に、特別の感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。私の目に狂いが無い筈だ。たしかにそうだ。ああ、我慢ならない。私は、あの人も、こんな体たらくでは、もはや駄目だと思いました。醜悪の極みだと思いました。
あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。いささかも取り乱すことが無かったのだ。ヤキがまわった。だらし無え。
私はそれを思った時、はっきりあの人を諦めることが出来ました。そうして、あんな気取り屋の坊ちゃんを、これまで一途に愛して来た自分自身の愚かさをも、容易に笑うことが出来ました。
もはや猶予の時ではない。あの人は、どうせ晒されるのだ。ほかの人の手で引き渡されるよりは、私がそれを為そう。きょうまで私の、あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後の愛情だ。私の義務です。私があの人を売ってやる。つらい立場だ。
誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。いや、誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋の愛だ。人に理解してもらう為の愛では無い。そんなさもしい愛では無いのだ。
私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋な愛の貪慾のまえには、どんな刑罰も、どんな地獄の業火も問題でない。私は私の生き方を生き抜く。身震いするほどに固く決意したのでした。
完