07/10/03 23:30:21 pPfTnlJl
読経が聞こえる。
小さな抑揚と短調な繰り返しが、その収容人数には不釣り合いに大きな堂内に、反響しては消える。
地獄の底から聞こえる様でもあり、お迎えの声にも例えられるそれは、私に(錯覚かも知れないが)余裕をくれる。
一人一人が発する、一音一音の文字。
何秒も無い命に海溝の寂寥を乗せて、
消える。
どこまでも、どこまでも、
退廃的なのに、悠久を感じさせる、華美な感情。
感情は淑々と、焼香から伸びる、白い煙となって、
静かに、儚く、確かな存在感を以って、目を閉じている私の境界を消していく。
死人のために創られた言葉は、それを聞かせる対象外の者にも、自ずと、それらに纏わる、又それに見合う空気を創り出させるしい。
例えその対象は、穢れとして忌み嫌われても、経が、この焼香の香りと相俟って一層強めるのは、やはり、この死人の空気なのだ。
幽玄でなお清明な、常世の空気を。
だが、多分、私はこの空気を創ってはいない。
我ながら卑屈に、頭の中でほくそ笑んだ。
不敬とは言わずも、機械的に題目を唱えるだけの自分に、きちんとした信仰心があるかは甚だ怪しい。
自己弁護すると、恐らくここにいる殆どの人間が、かけらの信仰心と儀礼という、絶対の強制力しかここに居る理由を持たない人間ばかりだろうと、私は邪推している。
しかし同時に、改めて宗教に恐怖する。
こんな気の遠くなる程遠い親戚の法事なぞに参加している自分も、彼の強制力に敵わないからこそここにいる。
洗脳にも似た『弔う心』を、私達は幼い頃から教育されてきた