【友達≦】幼馴染み萌えスレ11章【<恋人】at EROPARO
【友達≦】幼馴染み萌えスレ11章【<恋人】 - 暇つぶし2ch100:名無しさん@ピンキー
07/03/04 19:11:29 ZZCpjTgz
職人様降臨上げ!

101:Sunday
07/03/05 00:17:41 kFcBuZ5x


 空はもう、夕焼けの色が落ちようとしていた。

 真由と別れてから、紗枝は寄り道することなく彼の家へと足を向けた。随分と久しぶりに
来たけれど、懐かしさを覚えることは無かった。崇兄が引っ越した今でも、彼女の中では
窓から見える向かいの家が、彼の部屋だったからだ。

 鞄の中に大事に入れておいた合鍵を取り出す。付き合い始めて最初にプレゼントされた
ものが、この使い古された感のある光沢を失った合鍵だった。貰った時は、物凄く嬉しかった
けれど、渡してくれた時の崇兄の複雑そうな表情が、今でも不思議でならない。
 
 赤く錆びた鉄の階段を、カンカンと音を立てて上っていく。二階の右から二番目の部屋が
彼の家だ。握り締めていた鍵を鍵穴に差し込んで、ドアノブをひねって部屋の中に入る。
玄関には、脱ぎ捨てられた靴があちこちに散らばっていた。

 パタンッ

 中に入り、頭をぐるりと動かし部屋の様子を伺う。薄い板一枚で仕切られてるとは思えない
くらい、言い表し難い匂いが鼻腔を貫いた。
(うわあぁぁ……)
 この部屋に入るのは一ヶ月ぶりくらいになるんだろうか。いつもちゃんと整頓している
自分の部屋と比べて、相変わらず部屋の様子は閉口したくなるような惨状である。足の
踏み場が無いというほど散らかっているわけじゃないが、それでも、お世辞にもあまり
綺麗とはいえない。
「……はーっ…」
 だけど前に来た時に、くたくたになるまでこの部屋の掃除をしたのだ。その時の様子が
あまり残っていなくて、思わず溜息が漏らしてしまう。あの時の苦労は何だったんだろう。
あたしは家政婦さんじゃないのに。一応その、えと、恋人のはずなのに。 
 靴を脱ぎ、畳を踏みしめながら部屋に上がり、こもった空気を逃がす為に窓を開ける。
その足元には、敷きっぱなしの布団が一組。
 あれだけ万年床はやめろって言ったのに。自分が注意したことも守られてなくて、また
苛立ちと虚しさが募る。本当にあたしは彼に大切に想われているんだろうか、そんな考えが
浮かんでくるのは、もう何度目になるんだろう。

「……ふぅ」
 唯一の救いは、汚れているといってもゴミが散乱しているわけじゃなくて、漫画や雑誌が
床に放置されている状況だったこと。時間をかけて整理整頓をすればそれなりに綺麗になった。
脱ぎ捨てられていた靴も靴箱にしまいこんで、流しに放置されていた食器も洗剤で洗って
所定の位置に戻す。これで少しはまともになっただろう。

「……」
 そしてまた、足元に敷かれ畳を覆っているものに視線を移す。

 眼下に広がる、少しばかり汚れた布団。毎日寝る時に使っている、少しばかりよれた布団。
そこにはつまり、彼の匂いもそこに染み付いているわけで。

 掃除する際にそこに置いてあった自分の鞄を、傍にあった折りたたみ式の机の上に移動
させる。
 そして布団も押し入れに片付けるのかと思いきや、ゆっくりと膝を突いてその場に座り
込んだ。そのまま手もついて四つん這いになる。皺でもみくちゃになっているシーツを、
ゆっくり伸ばしていく。

(崇兄の…匂いだ……)

 距離が少し近づいたことで鼻を微かにくすぐってくる、今一番会いたくて、今一番自分の
気持ちをぶつけたい相手の残り香。皴を伸ばし終わると同時に、紗枝は半ば無意識に頭を
枕に、身を布団の上に委ねた。


102:Sunday
07/03/05 00:18:57 kFcBuZ5x

 そうすると残り香はより一層強くなる。まるで、彼に思いっきり優しく抱きとめられて
いるような、そんな錯覚さえ覚えてしまう。自分以外誰もいないのをいいことに、鼻から
強く息を吸い込んで、僅かに身をくねらせて、その感覚を存分に楽しもうとする。

「……はぁ…」

 最後に本人に思いっきり抱きしめてもらったのは、もうどれくらい前になるんだろうか。
少なくともここのところは会ってすらいない。街中で、見てはいけない場面をこの目で
見てしまった時のことは、カウントに入れたくなかった。

 半ば半端の夢心地。そんなふわついた感覚が、彼女に一番楽しかった頃の情景を脳裏に
思い起こさせてしまう。




 ………―――


『ちょっとー、部屋掃除しろよー』
『んー? なんで?』
『汚いからに決まってるだろ』
 久々に部屋に訪れたら、見渡さなくても臭いで分かった。至る所から腐臭を感じ取り、
露骨に顔をしかめて部屋を主でもあり、汚した張本人に改善を要求する。日頃バイトなどで
家を空けることが多いのに、なんでここまで汚すことが出来るのだろう。
『バカお前これは散らかってるんじゃなくて、置いてんだよ。ちゃんと全部計算し尽された
ところに物をばっちり配置してるわけよ』
 面倒臭がり口八丁の彼のことだから、素直に頷いてもらえるとは思わなかったけど。
それでもこの手の言い訳にいい加減辟易してしまうのは、付き合いの長さからくるものなのか
どうなのか。想像通りの答えを返され、肩にドッと疲れが圧し掛かる。
『……どう考えて配置したとしても、机の上にバナナの皮はいらないと思うんだけど』
 ほとんど真っ黒になってしまっている本来黄色いはずの物体を、鼻をつまみながら指先で
掴むと、ゴミ箱の中に放り投げる。窓を全開にしてこもった臭いを逃し、洗い場で手を
洗いハンカチで拭きながら、ジト目で彼を睨みつけた。

『あぁ分かった分かった。今度ちゃんと掃除しとくから。それよりホラ、こっち来い』
『……え』
『早く来いって』
 生返事で応答され少しばかり腹を立てて更に文句を言おうとしたら、それを完全に無視した
いつものお誘い。不意な申し出に、とめどなく溢れ出しそうだった不平不満が、それだけで
ぴたりと止まってしまう。

『いつもの?』
『いつもの』
 恋人同士になってからよく交わすようになった、言葉は同じでイントネーションだけが
違っている台詞の掛け合いが、紗枝は嫌いじゃなかった。一言だけでお互いの意思を疎通
出来ることが、嬉しかったからだ。 


103:Sunday
07/03/05 00:20:06 kFcBuZ5x

『……恥ずかしいんだけどな』
『最初にやって欲しいって言ったのはお前の方だろーが』
『それは、そうだけどさ』
 口で勝負して勝てないことなんて分かってるのに。それでもいちいち売ってしまうのは
そういう性格だから。こればっかりは、治そうと思ってもなかなか上手くいかなかった。
もっとも、そういうところを彼は特に好きでいてくれているようだけど。
というよりか、彼の好む性格になろうと幼い頃必死に努力した結果なのだから、むしろ
当たり前の話なのだが。それが元でよくからかわれてしまったりするのだから、やっぱり
治したいと思う気持ちもどこかにあるわけで。
『だろ?』
『……』

ぽすんっ

ぎゅっ

『はい、よく出来ました』
『うー…恥ずかしいのに…』
 恥ずかしいと言った割には自分から収まりに行ったのだから、おかしな話なのだけれど。
だけどその時の気持ちとは裏腹な言葉を言わずにはいられないのも、そういう性格だから。

 そして、彼はそういうところも好きみたいで。

『そう言うなって、誰も見てないしいいじゃねーか』
 だからなのかもしれないが、そういう態度をとってしまった時は、いつも以上に優しく
してくれるのだ。
『でもさ…』
 恥ずかしくて、照れ臭くて。だけどそこに深く腰掛けてしまうのは、相手の鼓動の音を
知りたくて、自分の鼓動の音を知って欲しいから。
『……じゃあやめるか?』
『え…』
 だから不意な言葉に、またしても戸惑う。
『お前がそこまで言うなら、別にやめてもいいけど』
『……』
『どうする?』
 こういう時だけ、気持ちを聞いてくるのだから。

 彼女の好きな人は、本当に意地が悪い。

『……やだ』
『はっは、だよな』
 そして、逆らえないことも知っていて聞いてくるのだから、性格も悪い。
『…だったら、もう少し大人しくしとけ』
『う~~~』
 悔しくて悔しくて仕方が無いけれど、それと同じくらい嬉しくてドキドキして。

 だけどそんな思い出すだけで胸が高鳴る記憶も、今はもう、昔の話で―――




「……」
 付き合い始めた頃は当たり前だった頃の情景。それがふと頭をよぎり胸が一瞬ツキリと
痛む。一度冗談めいて椅子になって欲しいと言ったら、彼はそれがよほど嬉しかったらしく、
喜んで手を広げて体を受け止めてくれた。
 胸元に後頭部を預け、全身をもたれかけて、お腹の前でベルトのように手を回して繋いで
もらって。凄くドキドキしたけれど、凄く嬉しかったあの感覚。甘酸っぱい感情が身体中を
巡った違和感とも思えたあの気分は、それこそ味わったことのないくらいの至福の瞬間だった。


104:Sunday
07/03/05 00:21:52 kFcBuZ5x

 そして今仮想ではあるものの、それに近い気分を味わっている。色々と大事な話をしに
来たというのに、そんな気分はもうどこかに吹き飛びかけていた。もぞもぞと身体を動かし
瞼が降りかけ、また静かに大きく息を吸い込む。

「たかにぃ……」

 目がとろつく。本当は、単に寂しいだけなのだ。言いたいことはたくさんあるけれど、
それ以上に以前のようにいつものように時間を共有したかった。会えない時間が多くなった
ことにもどかしさを抱え続けていることを、彼は知ってくれているのだろうか。

(仲直り……できるかな…)
 「今」の関係を考え直してもいいんじゃないのかと聞かれた時、紗枝はそこで初めて、
崇兄が悩んでいたことを知った。
 彼女の中で、その想いは変わらないままだった。それがいけなかったのかもしれないと
いうことは、友人に指摘されるまで気付かなかった。もっと違う形を彼が望んでいたのなら、
これまでずっと我慢し続けてくれてたのだ。そうすると、浮気しちゃったのも仕方ないのかな
と考えてしまう。約束を守れなかったり向こうも自分のことを悪いと思っているかもしれない
けれど、あれは仕方がなかったわけだし。仕事と自分と天秤にかけさせるなんて、そんなの
相手を苦しめるだけだ。
 
 そしてそんな感情をベースに、崇兄からの問いかけの答えを用意した。問いかけられた事
自体、泣き出しそうになるくらい悲しいことだったけど。今ならその原因も、気持ちの疎通が
出来なくてまるで分からなかった相手の気持ちも、ちゃんと分かっている。
 

 だけどそれも、今の気持ちが沈みこむ歯止めにはならなかった。


 親友に相談に乗ってもらったことで手に入れた勇気や前向きな気持ちも、一人になって
まだ上手くいっていた頃の甘い思い出や、すれ違い始めてからの関係を思い起こしたりして
いるうちに、既に失いつつあった。代わりに胸によぎるのは、自分の部屋で横になった時と
同じような、後ろを向いた考えばかり。
(ちゃんと…話できるのかな……)
 ずっと上手くいっていた関係だからこそ、上手くいかなくなってしまった時の耐性を
持っていなかった。そしてそれは多分片方だけじゃなくて、お互いに当てはまるのだろう。

「崇兄…たかにぃ……」
 そんな思考から逃げ出したくて、この場にいない部屋主の名を口にし続ける。この状況で
考えこんでも、沸いてくるのは悲しさだけだ。だから、再び没頭する。幸せを感じられた時の
ことだけを頭の中に浮かべて、本人には呼びかけたことの無いくらい、甘ったるい声で彼の
名前を呼び続ける。そうすると、また記憶の中の優しくしてくれるのだ。

 久しぶりに味わう安らかな気持ちは、やがて彼女から全身の力を奪っていく。

 頭はもちろん、身体や四肢、瞼を上げる力でさえ奪われ、瞳が徐々に重くなっていく。

 昨日の夜はベッドに潜り込んでからも、留守電に伝言を残した彼の真意が分からなくて、
そのことばかり考えを巡らせていた。当然、満足な睡眠時間を得ることは出来なかった。
久しぶりに胸をよぎった穏やかな気分に、その疲れもドッと上乗せされてしまっていた。

 嫌なことを全部忘れて、好きな人のことだけを、その人と作り上げた思い出のことだけ
を考えながら。楽しかった頃の、楽しかったことだけを脳裏にしっかり写したまま。


 そうして彼女は少しずつ、だけど確実に夢の世界へと落ちていったのだった――





105:Sunday
07/03/05 00:22:42 kFcBuZ5x



「くはぁーっ……」

 バイトを終え、自分で自分の肩をトントンと叩きながら崇之は帰宅の徒につく。今日は
久々に長く働いたもんだから、随分と疲れが溜まった。本来なら、さっさと晩飯を食べて
シャワーを浴びて、しばらく時間潰したら適当な時間に就寝するのだが、今日はこれからが
本番である。

(紗枝の奴…いるんだろうなぁ)

 怒りながらか、今にも泣きそうになりながらか、そのどちらかの表情をたたえながら
待ち構えているのだろう。そして、彼女の行動パターンが読めなくなってしまっている自分に
向けても鬱屈した気分が溜まっていく。関係が深くなって、気持ちが逆に読めなくなる
なんてどう考えても、つーか考えなくてもおかしい。
 途端に頬がひりつきだす。そこは、つい一週間ほど前に街中で彼女に叩かれた箇所だった。
遅れて併せるように思い起こされる、無実の罪を責め立てられた時の記憶。

 紗枝には随分辛いことを言ってしまった。だけどまた今日もあんな態度をとられたら、
彼女のことを大切に想う気持ちが無くなってしまいそうで、怖かった。

 崇之にとっての発端は、紗枝が抱え続けた自分に対する変わらなすぎた真っ白な想い。
 紗枝にとっての発端は、崇之が一時の気の迷いに流された疑惑ではない本当の浮気。

 そのことはもう分かっている。

 身から出た錆を処理するのは大変な作業なのだということを思い知らされ、ぼりぼりと
髪を掻きながら、苦々しい顔で空を仰ぐ。
今日はバッチリ星月が一面に広がっている。今までのパターンからすると、こういう時は
必ず曇り空だったのだが。どうやら天気には早々に裏切られてしまったらしい。

「……」

 扉の前まで戻ってきたところで、足が止まる。明かりが点いている。出掛ける前は確実に
消していた明かりが、今は光を放っている。ということは、誰かいる。その誰かが誰なのかは、
もちろん言うまでもない。毎日開け閉めしている扉なのに、今日に限ってはノブに触れること
にさえ勇気を必要としてしまう。
 
 いやいやしかし、ここは自分の家だ。なんで躊躇う必要がある。

 そう思い立って、一転迷いを振り切ってドアを開き、あくまで平静を装って部屋に入る。
足元を視線に落とし靴を脱いでいると、彼女のローファーだけしか視界に入らず、自分の
靴がちゃんと仕舞われていることに気付き、また一段と気分が重たくなった。この様子じゃ
部屋の中も掃除してくれているのだろう。これでまた負い目がひとつ出来てしまった。
 どんな言葉で声をかけようか、どんな言葉をかけられるのか頭の中で逡巡し、苦虫を潰した
ような顔になってしまう。どんな反応をされるだろう。

「……?」

 そういえば、おかしい。扉を開け、部屋に入った時点で何かしら反応があるはずなのに、
なんら応答されることもない。

「……紗枝?」

 顔を上げるが姿も見えない。電気が点いているということは家の中にいるはずなのに。
途中で外出する用事があったのなら、ちゃんと消していくし、鍵も忘れずにかけていく奴だ。
一体どうしたんだろう。

106:Sunday
07/03/05 00:25:48 kFcBuZ5x

「くぅ……すぅ…」

「んー?」
 何やら寝息が聞こえてくる。玄関からは、布団を敷いている辺りはテーブルの陰に隠れて
丁度死角になっている。身体ごと首を傾け、視界の角度を変えて死角だった辺りの場所を
覗き込んでみる。
 そこに見えたのは、布団に沿うように倒れている、紺色のソックスに包まれた二本の脚。
部屋に上がり、足音を忍ばせて徐々に近づくと、掛け布団に身体半分ほど埋まった可憐な
眠り姫が夢の世界へと落ちてしまっていた。
「すぅ…すぅ……んん…っ…」
 しかも何故かことあるとごとに、布団に自ら埋まっていくかのように身体を擦り寄らせる。
掛け布団をそっと握り締め、口元あたりだけ覆っている。

「……」

 足をかがめてそのまま尻を床につくと、掛け布団の位置を少しずらして、紗枝の寝顔を
あらわにする。反射的に、人差し指で頬をつっついてみた。
「ん~……っ」
 割れた声で反応を示すものの、起きる様子はない。この反応が琴線に触れてしまって、
もう一度頬をつっついて様子を伺ってみる。
「んっ」
 嫌がるように一瞬眉をひそめ、拗ねたように声を上げると、無意識げに顔を布団の中に
隠してしまった。そしてまたもぞもぞと身体を動かすと、布団の下から深呼吸をする声が
耳に届く。

(やべ……マジ可愛い)

 すっかり頭の中から抜け落ちていた事実を、今更になって思い出したようだ。

 恋人というのは、相手の浮気を詰問して叱り飛ばしてくるのが役割じゃない。お互いに
時間を共有して、一緒にいるだけでも心を満たしてくれるような、他の何物にも変え難い
大事な存在なのだ。
 それを、ここ最近の関係の悪化が原因ですっかり忘れてしまっていたのだろう。

 そういえば、幼なじみだったけれどこうして紗枝の寝顔を拝むのはほとんど記憶にない。
あったとしても、それは彼女がまだ赤ん坊の頃の話。あの時も確か似たような言葉の感想を
抱いたと思うが、その意味合いは今とはまるで違っている。

 だから、この姿は新鮮だった。年上だった分、紗枝のほとんどの表情を知り尽くしていた
ことも手伝ってか、いつもよりも心を揺すぶられた。だからまた、掛かった布団をゆっくりと
払いのけて、その寝顔を覗き込む。いつもよりも全てにおいて可愛さが増しているのは、
最近はあまり見せてくれなかった紺色のブレザー、深緑の色をした紐タイ、チェック柄の
プリーツスカートという組み合わせの制服姿のままだからなのだろうか。どうやら学校帰りの
まま、帰宅することなくここへ来たらしい。

 自分と彼女の関係がどういうものだったかを思い出せたおかげか、帰る直前まで引き摺って
いた考えがあっさりと消え失せる。そしてこれまでの鬱憤を晴らすように、突然くだけた
行動に出てしまう。
「……」
 身体を横向きに滑らせて、無防備なプリーツスカートの中身をそっと確認しようとする。
が、その直前で身体が固まった。どうやら思いとどまったらしい。

 いかんいかん、これじゃまるで変態じゃないか。それとも、やろうと思った時点でもう
十分に変態か。いやいや、どうせ男は全員変態だ。というわけで覗いてやる。こんな所で
寝るこいつも悪いんだ。
 
 結局欲望に負けたようである。首をぐぐぐっと動かして、奥を確認する。


107:Sunday
07/03/05 00:27:13 kFcBuZ5x

ちらっ

 見えた! ちょっとだけ見えましたよ! 色は薄い緑、ペパミントグリーンというやつだ。
この野郎、色気のある下着つけやがって。少しだけ興奮しちまったじゃねーか。

「すぅ……すぅ…」
 多大な戦果に充分満足して、体勢を元に戻す。
 話をするために起こそうかとも思ったが、だけどもう少しこの寝顔を見ていたかった。
むしろまだまだ眺め続けていたかった。傍であぐらを掻いて、顔元の布団をどけて静かに
見つめ続ける。
 これ以上ちょっかい出すと目を覚まされそうなので、我慢する意味もこめて腕を組む。
紗枝の制服姿は、普段は余りスカートを履きたがらないことも手伝ってかよく似合い、
そして普段以上に可愛らしく思えた。


『見て見て、たかにぃと同じ学校のせーふくだよ!』


 ああ。

 そういえばそうだった。

 まだ紗枝の家の向かいに住んでいた頃。進学、衣替えをする度に、彼女はその制服姿を
窓越しに見せ付けてきた。そんな埃被った記憶の断片が、急に脳裏に浮かび上がってくる。
 
 年が四つ離れているもんだから、中学と高校は共に通うことが出来なくて。それだけに
たまに下校途中でばったりと出くわした時は、いつも以上に減らず口を叩いてきて、いつも
以上に嬉しそうな表情をしていた。今はもう彼が通学していないせいか、そんな思い出を
作れる機会が、もう無いわけだが。
 崇之が高校を卒業すると同時に、紗枝は途端に制服姿を見せることを渋るようになった。
その理由は明かさなかったけど、なんとなく分かっていた。自分一人だけって言う状況が、
嫌だったんだろう。
 そのおかげか、こうして彼女の制服姿を改めてまじまじと見つめ返すことで、さっきから
胸をむず痒い感覚が駆けずり回っている。それが増せば増すほど、奇妙な充実感と、彼女が
どんな答えを用意したのかという不安が沸いてくる。

 思えば馬鹿なことを口走ったもんだが、だからといってあの時、代わりにどう言えば
良かったのかと思い直そうとすると、今の状況も仕方ないと思えてしまう。気持ちだけじゃ
どうにもならないことがあるということくらい、彼は知っている。

 自分が悪いのか、彼女が悪いのか、きっかけを作ったのはどっちか、向き合ったと思って
いた時に実は向き合ってなかったんじゃないのか。考えることはそんなことばっかりで、
しかもその答えを全部綺麗に出せるわけが無いのだから、それだけ歯痒さも増していく。
 だけど、そんな頭を抱えたくなるような問題をすぐに忘れさせてくれるくらいの魅力が、
今目の前に横たわる彼女にはあった。


 もし恋人でなくなったとしても、崇之にとって紗枝は大事な存在なのだ。それだけは
確かなのだ。お互いの立場とか関係無しに、ずっと一緒にいたいのだ。


「……」
 
 そうなると、やっぱり馬鹿なことを言ってしまったという気分に襲われてしまう。自分の
尻尾を、その場でぐるぐる回って追いかけ続ける犬になったような気分だった。
(あーあ…)
 思わず、頭を抱えてしまう。今まで付き合ってきた女の子は何人かいるが、崇之はいつも
振られる立場だった。その理由が、今更ではあるが何となく分かってしまう。


108:Sunday
07/03/05 00:28:21 kFcBuZ5x


 その時だった。


「…っ……っ…」

 それまで規則的だった紗枝の寝息が、段々と乱れだしていることに気付く。つられて
表情もそれまで安らかなものだったのが、徐々に変化が現れる。穏やかな線形を描いていた
眉や口も、少しずつ形を乱していく。

「……ぐすっ…」

「……」
 そして、鼻を啜った。

 もしかして。いやいやそんなまさか。いくらなんでもありえない。
 
 冗談だろ勘弁してくれ今そんなもん流されたらマジどうしようもないぞ。

 そう思いながら、再び顔の辺りまで近づいて恐る恐る様子を伺ってみる。
(……マジか)
 目尻の縁に溜まった、微かな滴。それは紛れもなく、いうまでも無いもので。

 その表情は、見たことがあった。

 泣きじゃくって、駄々っ子のように首を横に振り続け、こっちの言い分になかなか納得
してくれなかった。あの、黄昏時の河川敷で見た泣き顔そのものだった。

「……なぁ、紗枝」
 まだまだ彼女の寝顔を見つめ続けていたかったのが本心ではあったが。
「どんな夢、見てんだ……?」
 だけど、問いかけずにはいられなかった。それがそういう意味を含んだ涙なのだとしたら、
夢の中で彼女を泣かしているのは、夢の中の己だということになってしまう。
 
 髪を撫でて、そのまま指先で耳から顎筋をそっとなぞる。それは今までしたことのない、
淫靡な雰囲気を纏った仕草だった。そのまま手を動かして肩先、鎖骨が浮き出た辺りを
優しくポンポンと叩き始める。

 もし本当に、夢の中で彼女を泣かせているのが自分だったら。謝らないといけないのも
自分でないといけない。だから現の世界から、優しく彼女を起こそうとする。だが睫毛を
濡らしていた雫が重力に引かれた瞬間、胸の中が大きく跳ねてしまった。
「紗枝、起きろ」
 仕草は優しいままだったけど、声が無意識に切羽詰まる。理由はもう言った。今更余裕
なんて必要ない。

 気持ちか、関係か、それとも今の感情か。

 満天の星を臨むことの出来ていた夜空に、徐々に薄い雲が翳っていく。


 崇之は、そのことには気付かないまま、紗枝を起こそうとし続けるのだった―――





109:Sunday
07/03/05 00:30:38 kFcBuZ5x
|ω・`)……



|ω・`)ノシ ゴメンネ、ミンナノノゾンデナイヨウナテンカイデゴメンネ



|ω・`;)ノシ ソロソロオワリチカインデユルシテクダサイ



  サッ
|彡


110:名無しさん@ピンキー
07/03/05 01:34:46 jQJyLadf
スカートの中身覗いただけで終ったのは確かに望んでない展開かもしれん。

111:名無しさん@ピンキー
07/03/05 01:58:13 BPRd0S4v
日曜超GJ!!!
椅子になって欲しいとせがむ姿や眠っている姿の紗枝が琴線に触れますた!!!!!

112:名無しさん@ピンキー
07/03/06 02:57:34 DVIQm6ul
GJっ!!!
それしか言えねぇ!

113:名無しさん@ピンキー
07/03/06 04:00:12 6jniDEtM
保管庫は更新されないの?

114:名無しさん@ピンキー
07/03/06 18:52:53 5RYmWI4T
10スレの半ばから更新されてないんだよな。
管理人さん忙しいんだろうけど、少しずつでも更新して欲しいなぁ。

115:優し過ぎる想い
07/03/07 23:51:58 IJ+s4Z4A
私は今神社にいる。
うちの町内ではかなり有名な八幡宮という神社だ。
今日学校をサボった。

昨日、遼君と夕食を一緒に食べた。
それ自体はたいした事じゃない。
よく遼君とは一緒に夜ご飯を食べている。
ただその時にあることが起きた。

私は遼君の事が好きだった。
だから私は今の微妙な関係が嫌だった。
もっと遼君に特別にしてほしく、優しくしてほしかった。

そのために、
この微妙な距離を近づけるために、
私は告白しようとした。
でもその度胸は私にはなかった。
だから遠回しに聞いた。好きな人がいるかと。
そして彼は躊躇してこう答えた。
いる、と。

私は戸惑った。
好きな人がいるかと聞いておきながら、いると返ってくる状況を考えていなかった。

いるわけがないとタカをくくっていたのだ。
片手落ちもいいところだった。
だから醜く慌てた。
その後、私は家に逃げ帰った。
遼君から見たらただの変な奴だろう。
そのことにも落ち込む。

その後も私は悩んだ。
明日どんな顔をして、どんな話を彼とするべきか。

もうこの想いは諦めていた。
好きな人がいる彼の心には入って行けない。
そんなことは私には出来ない。

116:優し過ぎる想い
07/03/07 23:52:41 IJ+s4Z4A
そしてそのまま私は学校をサボった。
さらにこんな時間になっても家に帰らないでいる。
本当に遼君に迷惑かけて、お父さんに心配かけて、私何やってるんだろ。
そんな事を考えていたときだった。

こっちに駆けてくる遼君が見えた。
「葵~、こっち来いよ~。もう見つけてんだ、逃がさねぇぞ~。」
そして遼君の声がした。
私はこう答えた。
「今そっち行くよ。」
私は遼君のところへ行きながらも迷っていた。
でも嬉しかった。
遼君が探しに来てくれた。
こんな時間なのに。
そして私の事を見つけてくれた。
それだけで私は嬉しかった。
後は何をするのか、するべきなのか、それだけだった。

結論は簡単だった。
謝ろう。昨日逃げた事を謝り、今日迷惑をかけた事を謝ろう。

「遼君、ごめんなさい。」
「なんで葵が謝るんだ?」帰ってきた言葉は本当に意外だった。
でもなんで?と聞かれたならちゃんと説明しよう。

「だって、学校サボっちゃったし。夜遅くまで帰らなかったし。
今も遼君にこんなに迷惑かけちゃったし。遼君大丈夫?」
でもその何故かは最後まで言えなかった。
彼の顔を見てしまったから。

117:優し過ぎる想い
07/03/07 23:55:11 IJ+s4Z4A
顔色がおかしかった。
青いなんてものじゃない。真っ白だった。
今にも何かが途切れてしまいそうに見えた。
でも表情は元気そうに見える。
「そんなことなら大丈夫だよ。学校なんてサボるためにあるんだし、俺に迷惑なんていくらかけてもいーの。
そもそも今回は俺が主原因みたいなものなんだから。
なぜ俺?俺は全く問題ないぞ。」
「なんで遼君のせいなの?」
「ほら、なんか昨日俺に相談しようとしてただろ。でも俺が茶化して言わせなかった。だからこんな事したんだろ。
本当にごめん。」
私の中の何かが飛んで言った、この遼君の言葉によって。
その後はただの感情の発露だった。
「なんで遼君が謝るの?
私が悪いのに?
勝手に遼君に告白しようとして。
遼君に好きな人いる?
って聞いて、それに予想外の答が帰ってきたから、勝手に慌てて、揚句の果てに逃げただけなのに。
ねぇ、なんで?
悪いのは私なのに?」
彼は止まっていた。


「あ、葵が、俺の事好きって本当?信じてもいいの?」
私はそう言われてから自覚する。
一気に顔が赤くなるのがわかる。
いつのまにか私は告白していた。

118:優し過ぎる想い
07/03/07 23:56:08 IJ+s4Z4A
「本当だよ。信じていいんだよ。」
そんな言葉がすらすらと口から出る。
でも本心だ。
たとえ断られてもいい。後は答を待つだけ。
断られるだけと分かっていても。


「俺も・・・葵の事が大好きだ!」
そう言って彼は私の事を抱きしめた。
なんで?他に好きな子がいるんじゃないの?
そんな疑問が湧いてきた。
けど、今は好きといわれたことの嬉しさの前に消し飛んでしまった。
幸せだ。
私は何かに浮かされていた。
「ねぇ、キスしようか?」
こんな事を言っていた。
また顔が赤くなるのが解ったけど、恥ずかしさを隠して目を閉じる。
彼に更に強く抱きしめられて、唇が一瞬触れ合う。
遼君のはちょっと硬い感じがした。
「遼君大好き!」
そういってさらに飛び付いた。取っても幸福だった。








でもすぐに幸感は終わった。

ドサッ

119:優し過ぎる想い
07/03/07 23:57:36 IJ+s4Z4A
遼君が倒れた。
私が飛び付いた勢いを止められずに倒れた。
そういうのが適切な表現だろう。

胸を抑えてる。

「どうしたの、遼君。大丈夫?」
そういって彼の体を揺する。
でも反応はない。
彼の顔色だけが悪くなっていく。
手を握ってみる。
冷たかった。
まるで氷を触ってるみたいだった。

顔色と手の冷たさとが合わさって、今にも遼君の命が消え去っていくような気がする。
「遼君おきて、ねぇ起きてよ。」
返答はない。

遼君を助けなきゃいけない。
救急車!
事ここに至ってやっと救急車を思い出した私は、すぐに119に電話をかける。
「はい、救急センターです。」
「きゅ、急患です。八幡に、は、早く来て下さい。早くお願いします。」
「落ち着いてください。患者の氏名、年齢、性別と症状を教えてください。」
「はい。安井遼太、16才、男です。症状は・・・胸を抑えてます。」
「脈は?」
遼君の胸に耳を当てて聞いてみる。
ドドックドク ドドッ ドク
明らかにおかしい脈拍だった。
即座にそれを伝える
「おかしいです。」
「解りました。直ちに向かうので一緒にいてください。」
「わかりました、早くお願いします。」

120:前スレ580
07/03/08 00:01:00 OZdqgTiO
葵×遼太続き投下します。

神作品のあとに恐縮です。
一応視点変更はこの一回だけのつもりです。
遼太死亡フラグ立てまくっといてあれですが殺すつもりはありませんのであしからず。

121:名無しさん@ピンキー
07/03/08 01:56:36 GejX7EZ4
くそ、ハッピーエンドだよな!?
続きが気になるような事しやがって。このGJめが!!

122:名無しさん@ピンキー
07/03/08 21:55:35 gFGVtH8h
GJです!
遼太が死なないと知って安心しました……。
やっぱり甘ーいハッピーエンドを読みたいのです。

123:名無しさん@ピンキー
07/03/11 00:59:49 h7qlsYJl
中学校からの幼馴染ー。

124:Sunday
07/03/12 10:56:26 1embby+Y

『なぁ、紗枝』
『? 何?』
『今度さ、二人で旅行に行かないか』
 麗らかな放課後、珍しく人気の少ない駅前の並木道を、ゆるりと手を繋ぎながら。崇兄が
前を向いたまま、穏やかな表情のまま話を切り出してくる。
『……旅行?』
『そう、旅行。つってもあれだよ。近場で一泊程度の予定のつもりなんだけどな』
 思わぬ申し出に、紗枝は無意識にその表情を覗き込もうとする。しかし生憎、彼は正面を
じっと見据えたまま。こっちを向いて欲しいのに、前を見つめるばかりだった。

『……嫌か?』
 そのことに集中しすぎて、返事どころか反応することさえ忘れてしまっていた。しかし
それが功を奏したのか、ようやく彼がこっちを振り向く。珍しいことに、少しだけ不安が
入り混じった顔で聞いてくる。
『え…あ、その…』
 内容があまりにも唐突すぎて、なんと言えばいいのか分からなかった。しどろもどろに
なりながら、視線をあちこちに動かしながら答えを探そうとする。しかしそんなものが、
これ見よがしに目に映るはずもなく。

『はっは、そう焦ることでもねーだろ。泊りがけでデートするようなもんだ』
 少し寂しそうに微かな溜息をつくと、彼はそれをかき乱し打ち消すように笑みを浮かべ、
おどけながら言葉を付け加える。

『でもさ、泊まりがけってことは……色々やるんだろ?』
『あぁ、色々やるな』
『二人で遊んで色んな場所に寄ってご飯食べて……、夜、一緒に寝るんだろ?』
『あぁ、一緒に寝るな』
『そしたら……何かするんだろ?』
『あぁ、何かするな』

『……行かない』


『   何   故   だ   っ   !   』


『下心丸出しで何言ってんだよ』
 やっぱりというか案の定というか、本心はそこのところにあったようで。というか、
そこ以外に何かあるはずも無いだろうが。
『お前な、エロいこと=よくないこととかその年になって思ってるわけじゃないだろうな』
『そういうわけじゃないけど、そうガツガツされるとさぁ』
『ほーお、半年近く付き合った彼氏に未だヤらせないどころか、舌を絡めるのも嫌がる
潔癖症のお嬢様は流石言うことが違うな』
『なっ』
『本当のことだろ』

 思わず言い返そうとしてしまったが、確かに彼の言ったことは紛れもない事実である。
だから言葉を詰まらせてしまう。それを切り出されたら、何も言い返すことが出来ない。

『何か間違ってること言ったか? そんな調子だったらそりゃガツガツしたくもなるわ』

 皮肉を言われそっぽを向くように彼はまた正面へと向き直ってしまう。素直に首を縦に
振ってもらえるとは思ってなかったのだろうけど、余りに冷たい対応に少し拗ねてしまって
いるようにも見えてしまって。ふだん滅多に見せることのない子供っぽい仕草に、ついつい
相好が崩れてしまう。


125:Sunday
07/03/12 10:59:01 1embby+Y

『ンだよ』
『んーん、何にもー』
 不機嫌な様子の問いかけに、上機嫌に切り返す。答える立場にあるからかもしれないが、
それでも紗枝は、自分が珍しく主導権を握れていることに、ひそかな優越感を覚えた。
『……ったくよー、甘やかしてりゃすぐつけあがるんだもんな』
『普段セクハラばっかりしてくるそっちはどうなんだよ』
『付き合い始めてからはしてないだろ』
『そうなる前の話。崇兄があたしの身体でまだ触ってない箇所なんて、もう無いじゃないかー』

 椅子になってくれたり照れることなく手を繋いでくれたりと、身体を密着させる機会は
相変わらずとはいえ、意外なことに付き合い始めてからの崇兄は、やらしい意味での過度な
スキンシップを全く行わなくなっていた。もっとも、それまで顔をあわせる度にそういった
行為を行い続け、これまでの合計回数が軽く二桁を超えているのもまた事実なわけで。
当然のことながら、話は延々と平行線を辿ろうとし始める。
『いや? まだ触ってないとこもあるぞ?』
『何言ってんだよ。こういうのはした方よりされた方が良く覚えてるんだからな』
『……つってもなぁ、ここを触った覚えは無いんだがなぁ』
 その言葉と共に、スススと近づく繋いでないもう片方の手。その腕が速度を変えること
なく紗枝の下腹部あたりへと近づいてきて――

ギュッ

『痛って!』
 目的地に到達しようとした寸前、彼女はその手の甲を思いっきり抓ったのだった。

『何すんだ!』
『あたしの台詞だそれは! どこ触ろうとしてんだよ!』
『そりゃーもちろんお前の…』
『言うな!』
『聞いてきたのはお前だろーが!』
 人目のあるところでこんなことすんな、と更に言い返そうとして抑え込む。屁理屈が得意な
彼のことだ。今の言葉を言おうものなら『じゃあ人目の無いところならいいんだな?』とか
なんとか言って、いかがわしい場所に連れ込もうとするのは目に見えている。もし言わない
としたら、向こうからそういう空気に持ってこうするに違いない。

『あのなぁ、お前は恥ずかしくてつい嫌がっちまうんだろうけど、恋人同士ならこういう
ことは普通ヤってて当たり前だぞ?』
『……何故最後を強調する』
 ほうら始まった。字面がこっそり変わっているであろうことも、しっかりと察知する。
『そもそもだな、付き合いだしてから俺はお前のことをちゃーんと"恋人"として接して
やってるのに、お前はどうなんだお前は! 手ぇ握るくらいで満足しやがって! 半年近く
お預けを食らう俺の身にもなれ!』
『恋人だからってすぐそういうことしたがるのはおかしいよ。もっとさ、お互いのことを
よーく知ってからでも』
『幼なじみ。俺達幼なじみ』
 反論しようとすると、崇兄はそれを遮り自分と彼女を何度も指差しながら言い返してくる。
その時紗枝の脳裏には、いつぞやのバレンタインデーに彼にチョコレートを渡そうとして、
あくまで「幼なじみ」なんだという関係を再確認させられてしまった、あの時の情景が
浮かび上がっていた。

 不安が、よぎる。


126:Sunday
07/03/12 11:01:53 1embby+Y

『……そうは言ってもさ、やっぱり付き合ってからは何となく感じが違うし。もうちょっと
仲良くなってからでも…』
 だけどその不安を打ち消して言い返す。すると、崇兄の表情がみるみる変わっていく。
鼻頭も小さくピクリと痙攣して、それまでのふざけた様子が、瞬時に消え去る。
『付き合うってことがそういうことなんじゃないのか? お前まさか結婚するまで操を
立てたいとか思ってるわけじゃないだろうな』
『ち……違うよ』
 言葉の歯切れが悪くなる。自覚はあるのだ。待たせ続けていることに、負い目を感じて
ないわけじゃないのだ。

『あー、もういい。分かったわかった』

 謝ろうとした矢先に、鬱陶しそうに手をプラプラと振りながら遮られる。彼のその態度に、
紗枝の胸に一度は封じ込めたはずの不安が、更に大きく強くなって、ロウソクの火のように
ゆらりと宿る。
『アレだろ? 結局お前はまだそういうことはしたくないんだろ? 普通に遊んだり手を
繋いだりしてるだけで今は満足なんだろ?』
『うん……まあ』
 だけど、好きな人に嘘をつきたくなくて、不安感をそのままに素直に首を縦に振る。
正直な気持ちは時に相手を傷つけるということを、彼女は知らなかった。

『別にそれって、相手が俺じゃなくてもいいよな』
 
『え…?』
 膨らむ不安が、自分の身体という殻を破って外に飛び出してしまう。

『自由に出来ないなら、自由にさせてくれ』
 手を、解かれる。歩みを止めても、崇兄は止めない。すぐ隣にあったはずの背中が、
少しずつ遠ざかろうとする。
『……どういう、こと?』
『……』
 肩越しに視線を送り返されると、鼻から大きく息を吐きながら彼は振り返る。しかし
それまで彼女の手を握っていたその手には、いつの間にか煙草とライターが手にされていて。

カチッ

シュボッ

 吐き出された煙が風に乗って、紗枝の頬を掠っていく。思わず顔を顰める。その煙たさが
苦手だから、煙草が嫌いだった。好きな人の身体から、ヤニの臭いがするのも嫌だった。
 
だけど今は。目の前の出来事を受け止めるだけで精一杯で。

『……』
 彼がどういう時にそれを吸ってきたのか、当然彼女は知っている。


『どういう……つもりだよ』


『……んー?』



127:Sunday
07/03/12 11:03:33 1embby+Y

 だけど今の状況で、その行為をそのままの意味に捉えることがどうしても出来なかった。
いや、出来なかったわけではなくて、怖かった。
 手に持つそれを口に咥え、スッと息を吸い込み濁った息を吐き出す、彼はそんな行為を
繰り返す。やがてまた指に挟んで、今度は煙草自体から煙をくゆらせ始めた。いつもの
ように口喧嘩をしていた雰囲気は、もうどこかへ過ぎ去ってしまっていた。
 急に変わっていく場の空気に、ついて行くことが出来ない。視界と身体が、ゆらゆらと
揺れ始める。

『どう言って欲しいんだ』

『……言わなくても、分かってるだろ』

 声が少し潤んだ。悔しい。こんなことくらいで傷つくような、弱々しい女の子だなんて
もう思われたくないのに。いっぱい心配をかけてしまった相手だから、もう心配されない
ように強くなりたいと思ってるのに。
 それは自分の為でもあるけど、同時に今目の前にいる大好きな人の為でもあるのに。

『……』

 なのに彼は、付き合う前は分かってくれてたそういうところを、今ではまるで分かって
くれなくて。気付いてて欲しいわけじゃないけど、その変化が少し悲しくて。

 地面に落としてそれを踏み消すと、崇兄は再び紗枝の下へゆっくりと近づいてくる。
だけどその表情は渋いまま。

『あ…』
『……』
 
 抱きしめられそうなくらい近寄られて、思わず怖々とした声を上げてしまう。少しだけ
俯いて、見下ろしてくる表情から顔を逸らしてしまう。そんな彼女の頭に、何度も繋いだ
手の平が降りてきて――

くしゃ…

『! や、やだっ!』
『……』
 頭を撫でられるのは嫌いじゃない。むしろ、今でも撫でて欲しいと思ってる。
 だけど今は事情が違う。付き合いだしてからは、当然一度も撫でられることは無かった。
その理由も、もちろん分かってる。
 最後に撫でられたのは、季節が移ろい始めていた、あの黄昏時だ。

『…どうして……?』

 どうして、どうして。立て続けの余りの仕打ちに、沸いて出るのはその一言だけ。

『どうして、か。……ほんと、どうしてなんだろうな』
『……』
『……付き合い始めてから、上手くいってないよな。俺達』
 意味が分からない。頭が凍り付いて、何も理解出来ない。


128:Sunday
07/03/12 11:09:06 1embby+Y

『お前だからか…幼なじみだからかよく分からんけどな。こんなに疲れるとは思わなかった』

 違う、違うよ崇兄。一緒に遊んでたい、手を繋いでくれるだけでいいって言ったのは、
相手が崇兄だからなんだよ。いつもはこんなこと言わなくても分かってくれるのに、何で
今は分かってくれないの?

 そう思うだけで、言葉は出てこない。それ以前に、崇兄はもうこっちを見てはくれない。
付き合い始めてから上手くいかない。今しがた紡がれた言葉が、強く深く突き刺さる。

『お前は、辛くないのか』

 そんな葛藤を、分かってくれるはずもなく。この前とよく似た台詞を口にされる。

『浮気されて、構ってもらえなくて、挙句怒ってばっかりで、辛くないのか?』

 並木道を歩いていたはずなのに、いつの間にか自分と彼以外の全てのものが、その存在を
消してしまっていることに気付く。ただ延々と、地平線が見えるくらいに白い空間が広がり
続けるばかりで、まるでとてつもなく大きな白い箱の中にに閉じ込められたようで、現実では
ありえない状況が平常心を奪い取り、思考さえも凍てついてしまう。

『あた…し……あたしは……』

 震えが、止まらない。全部を全部、この場所で失ってしまいそうで。髪の毛のような
細い糸が舌に絡んで言葉が上手く出てこない。

 泣いてしまっていることに今更気付いて、今度はしゃくりが止まらなくなる。

 今しかないのに。用意してきた答えを言うのは、今しかないのに。

 だけど。



    怖くて。


              焦って。


                              辛くて。


         寂しくて。


                    泣いてしまって。


      一緒にいたくて。 


                                 構って欲しくて。



            だけど彼のことは好きなままで。




129:Sunday
07/03/12 11:10:07 1embby+Y


 胸に宿る全ての感情があちこちにばらまかれ、互いに強烈に主張しあって鍔競り合う。
それに気圧され心臓の鼓動が壊れ始める。言わなきゃいけないと思えば思うほど、口への
信号が伝わらなくなる。
『……あの…』
『……』
『ぁ……あの…』
『はー……』
 その先が、言えない。言えずにいたら、とうとう彼が、興味を失ったように溜息をついて
しまった。時間切れ。そんな意味合いが込められたような態度だった。

『…た、崇兄……』
 
『いいよ、もう。無理すんな』
 少し寂しそうに笑うと、彼は一言そう言って。それは泣きじゃくる妹を、泣き止ませよう
とする兄のような、ひどく柔らかい口調で。

『付き合わない方が、良かったな。少なくともお前にとっちゃ』
『……』
『酷い目にあわせてばっかりで……ごめんな』
『…何……言って…』
 優しくされてるはずなのに、傷つくことがあるなんて。こんな気持ち、彼女は知らない。

『じゃあ、な。元気でやれ』

 そして最後にそう言い放たれた時も、彼は寂しく笑ったままで。
『待っ…』 
 背中を向けられ、手を振り立ち去り始めた崇兄に、立ち止まってもらおうと声をかけよう
とするものの。

 次の瞬間、その後ろ姿は瞬く間に白い空間へ溶け込んで、掻き消えてしまう。

 それこそ、身体に纏わせていた煙のように。跡形も、なく。

『崇兄…?』
 吐き出したはずの言葉は、形にならずに崩れ去る。
『崇兄……どこ…?』
 どこからも返事は無い。目の前には、何も、無い。
 
 
『さえー! はやく来ないと置いてくぞー!』


『うわああああん! まってよー!!』


 そして一瞬だけ浮かんで消えた幻聴と幻覚が、とうとう彼女に止めを刺してしまった。

『…っ―――!』

 一人きり。傍にもう、誰もいない。
 
 その目の前の光景に紗枝は、声にならない悲鳴を上げる――――




130:Sunday
07/03/12 11:12:47 1embby+Y



「んー……」
 崇之は困っていた。いくら身体を揺すろうがトントンと肩を叩こうが、紗枝が一向に
目を覚まさないのだ。よっぽど深く寝入ってしまっているのだろうが、それでもさすがに
ここまでやれば、目を覚ますと思うのだが。

「おーい、起きろって」
 埒が明かないながらも他に方法がなく、彼女の肩を揺らし続ける。嗚咽が漏れ始めた時と
比べても、その表情は明らかに歪んでしまっていた。
 自分で起きるまで放っておこうかとも思い始めるが、眠りながらもくすんくすんと鼻を
啜る所作は止みそうにない。そしてその度合いが段々と酷くなっていく様子を目の当たり
にすると、ジクジクと胸に痛みが走り、不安を覚えてしまう。

 ……
 
 やっぱり、ちゃんと起こしてやるか。

 メトロノームのように左右に激しく揺れ動く気持ちを整理して、彼女を起こしにかかる。
どうやら今の今までは、本気で起こすつもりが無かったらしい。やっぱり心のどこかで、
まだこの寝顔を見ていたかったようだ。
「起きろ、紗枝」
 体勢を入れ替えると、腕に力をこめる。それまでは起こした時に機嫌を損ねたくなくて
本当に触れる程度だったが、今度はしっかりと力をこめ、声も少し張り上げ強く揺らして
起こそうとする。嫌がられるように顔や身体を背けられても、もうその動作を止めたりは
しなかった。

「…っ……ぅ…?」

 しばらくの間その状態を続けると、眠っていた彼女はそれまでとは違った反応を示しだす。
どうやらようやく意識が戻りかけているようだ。
「紗枝」
 それと同時に、その行為とは裏腹に、出来るだけ優しく名前を口にする。身体から手を
離してその顔をじっと見下ろしていると、開かれた瞳と己の視線がゆるりとかち合った。

「……」
「よっ」
 手を立て、軽い雰囲気を纏わせ声をかける。しかし彼女は、その状態のまま動かない。
驚いて身を起こすわけでもなく、寝ている間に流した涙の跡を拭うわけでもなく、ただただ
じっと見つめ返してくるだけだ。

「崇兄……?」
「おはよう」
 挨拶し返すと、紗枝の表情が僅かにくぐもる。一瞬眉間に微かな皺が走った。
「あ……」
「……」
 なんだか様子がおかしい。やっぱり、あまり楽しくない夢でも見てたんだろう。
「ほんとに……崇兄なの…?」
「……会わないうちに俺の顔忘れたのかよ」


131:Sunday
07/03/12 11:14:39 1embby+Y

 流石にこの言葉にはショックを隠しきれなかった。どう解釈しても、好意的に受け止め
られなかった。今まで、そんなこと言ってきたことなんて無かったのだが。
「あ…違うよ、そういう意味じゃなくて……」
 紗枝はふらふらと上半身を起こすと、バツが悪そうに言葉を放つ。そして、尻餅をついた
状態のまま脚をもぞもぞと動かして、少しずつ後ずさっていく。
「どうしたんだよ」
 おかしな反応を見せ続ける紗枝の様子を訝しがり、無意識に声を少し張り上げてしまう。

「っ……」

 その瞬間、肩が大きく震えたのを、崇之は見逃さなかった。怖がるように顔を俯けて、
息も少しだけ乱れている。相変わらず目の縁に走った跡を拭う様子もない。
「……」
 ふーっと息をつくと、崇之は腰を上げ無造作に近づいていく。なおも後ずさろうとする
彼女の肩を掴んで動きを制止させると、あぐらを掻いてまたすぐに腰を下ろした。掴んだ
手をそのまま腕に沿わせていって、一回り小さな手の平を、安心させるようにやんわりと
両手で包み込む。

「あっ…」
「随分ぐっすり寝てたな」
 なおも怖がろうとする紗枝に、出来るだけ優しく声をかける。
 具体的には分からないけれど、どんな感じの夢を見ていたのか、おおよその見当はついて
いた。ひどく怯える彼女の様子を目の当たりにして、気付かない方がおかしい。ずっと
一緒にいる間柄なのだから。
「怖い夢でも見たか」
「…夢……」
 慰めるように囁くと、彼女は「夢」という言葉だけを反芻する。その瞬間ハッと気付いた
ような表情になって、バッと顔を上げ、まじまじと見つめ返してきた。悲しそうにかたどって
いた眉の形が、安心したように緩やかになる。
「どうかしたか?」
「ぁ……なんでも…ない……」
 彼女の気持ちを推し量って、敢えて分かってない振りして様子を伺う。その怖い夢に
俺が出てきたんじゃないか、何か酷いこと言われたんじゃないか。頭の中で推理を働かせる。
だけど働かせるだけで、口には出さない。

「……よかった」

 肩の力をドッと抜きながら、彼女は背中を丸め猫背になっていく。溜め息混じりの微かな
言葉は、崇之の耳には届かなかった。

「本当に大丈夫か?」
「うん…心配させちゃってごめんね」
 幼なじみだから、どこまで彼女の気持ちを探ればいいか、その度合いも大体は把握している。
だから演技を続けた。分かっているからといってそれを無闇に掘り下げて、また傷つけたく
なかった。


132:Sunday
07/03/12 11:15:45 1embby+Y

「……」
「……窓」
「ん?」
「閉めても…いい?」
「…ああ」
 ふわゆらと風にたなびくカーテンが視界の端に入ることを鬱陶しがったのか、おずおずと
いった様子で聞いてくる。それを、感情を表に出さずに頷き返す。ガラガラとうるさい音を
立てて、窓が閉められる。
 外はすっかり夜色に染まっていた。携帯を取り出して時間を確認してみると、あと少しで
七時半になろうとしている。そういえば、まだ晩飯を食べていない。だけど、腹は大して
減っていない。それでもせめて何か腹に入れておこうと、飴玉を取り出し口の中に放り込む。
袋の中に残っていた、最後の一粒だった。

 紗枝はというと、窓を閉め終えるとまた布団の上に座り込んでいる。ただ、さっきとは
違って正座をしていた。夢の中に落ちていたせいなのか、目を覚ましたばかりなのかは
分からないが、普段はピンと伸びている背中がどことなく猫背気味で、電話で話をした時の
ような凛とした様子は感じられなかった。

「何か用事があるんじゃないのか」

 出来るだけ穏やかな口調を作りながらきっかけを振る。一方で、起き上がってからは
途端に目線を合わせてくれなくなったという事実に、不安が膨らんでしまう。それが徐々に
溶けていく飴玉とはまるっきり裏腹で、甘ったるくなった唾液が口の中に溜まっていく。

「……」

 長い沈黙の後。

「……うん」

 首を動かすことなく、言葉だけで頷かれる。垂れ下がった前髪に隠れてしまって、表情は
分からなかった。分かるのは、ずっとたどたどしいままの、その口調。

「大事な話…なんだ」

 不安は消えず、膨らんで。唾も飲み込めず喉も鳴らない。瞼が錆び付き、動いてくれない。
つられて徐々に目が乾いていく。見えない刃物に、痛みもないまま胸を貫かれる。

 またか、またなのか。

 よぎった最悪の結末が息苦しくて、空気に溺れてしまいそうになる。

「本当は……会いたくなかったんだろ…?」

 とうとう始まる、話の本題の一言目は。
 
 彼女の口からは久しぶりに聞いた、女の子とは思えない乱暴な口調だった――




133:Sunday
07/03/12 11:17:18 1embby+Y
|ω・`)……



|ω・´)9m モリアガリニカケテルヨカン!



|ω・`;)ノシ ゴメンネ、テンカイオソクテゴメンネ



  サッ
|彡



134:名無しさん@ピンキー
07/03/12 13:44:48 0n2wiXdm
ぐっじょぶです!!11!

あああ、続きが、続きが気になるぅ~……

135:名無しさん@ピンキー
07/03/12 21:54:35 rbYm82nj
GJです! くあー、何か切ない……!
できればこのまま上手く初夜を迎えさせてあげて下さい!

136:名無しさん@ピンキー
07/03/12 23:53:41 Yvc+Pum9
つ、つれぇorz

137:名無しさん@ピンキー
07/03/13 05:09:12 8DeF1jM9
そういやシロクロどうしたのかな
最近みてないや

138:名無しさん@ピンキー
07/03/13 20:34:28 q8aqbjD1
俺も思った
133氏のSSを読むと併せてシロクロが読みたくなるから困る

139:名無しさん@ピンキー
07/03/13 20:52:23 FjbeyuYB
あ~、渋い茶には甘い和菓子ってね。

140:優し過ぎる想い
07/03/14 01:15:12 gf91G/nY

ガチャ
電話が切れた。

もう一回遼君の胸音を聞いてみる。
トクットク、トク
さっきより格段に弱い。今も遼君の命は削れていってる気がする。
「遼君いっちゃ駄目。お願いだから逝かないで。」
私はそう呟きながら遼君の手を握っていた。
彼の手はまだ冷たかった。

ピーポーピーポー

何処からかサイレンが聞こえてくる。

「遼君、来たよ。救急車来たよ。もう少しだからね。」

「安井さんですか?」
「あ、彼が安井です。私は岩松です。」
「失礼ですが、あなたは安井さんの?」
「とっ友達です。」
「解りました。あなたも来て下さい。」
彼等は遼君をテキパキと運んでいった。
そしてそのまま病院に連れて行かれた。

病院に着くとお医者さんと看護婦さんが沢山待っていた。
そして遼君はそのまま連れていかれてしまった。
処置室の前で待っていた私の前に一人の医師が出てきた。
「遼君は大丈夫なんですか?大丈夫ですよね。」
しかし医師は冷たい顔でこう言った。
「危ないかもしれません。ご親族を呼んでください。」

目の前が真っ暗になった。

141:優し過ぎる想い
07/03/14 01:16:06 gf91G/nY
私のせいだ。私が、私が遼君を殺したんだ。
私はそこまで考えて、また気付く。
また私は私自身の事しか考えていない。
電話しなきゃ。
私はお父さんに電話した。
プルプルプル
「葵かっ。今何処にいる。早く帰ってきなさい。」
「今、大成病院。遼太君のお母さんに電話して。遼君死ぬかもしんない。」
私は事実だけを伝えた。そうじゃないと・・・
「は?何で遼太君が死ぬんだ?」
お父さんの答は至極当然のものだった。
「わ、私をね、見つけようとしてね、無理して走ってね、心臓を壊しちゃったのっ。だから私が…遼君を殺したのっ。」
「葵っ!落ち着きなさい。事情はよくわからんが、遼太君のお母さんと一緒に行くから、落ち着いて待ってなさい。わかったか?」
「は、はい。」
ガチャ。ツーツー。
お父さんの怒った声なんか久しぶりに聞いた。

でも少し落ち着けた気がする。
これで遼君のお母さんが来れる。
でも、遼君のお母さんになんて事情を説明すればいいんだろう。
遼君が昔から胸を痛がっていたのは言った方がいいのかな?

142:優し過ぎる想い
07/03/14 01:20:14 gf91G/nY
でも勝手に言われたくないだろうし・・・
じゃあ何で倒れたかは?健康な男の子が走った位で倒れる訳ないし・・・。
「葵っ」
お父さん達が来ていた。考えているうちに結構時間が経ったらしい。
「葵ちゃん、大丈夫?」
そして遼君のお母さんにそう聞かれた。
なんでみんな私の事を心配するの?
今一番つらいのは遼君なんだよ。
だから遼君の心配をしてよ。
私はそんな事を思い、速く遼君の所に行ってもらおうと言った。
「私は大丈夫です。早く遼君の所に行って上げてください。」
「そう?わかったわ。」
おばさんは、お医者さんの所へ行った。

お父さんはおばさんが処置室に入って行ったのを見ると、私に向き直ってこう言った。
「で葵、何があったんだ?順を追って説明しなさい。」
「はい。今日私は家を出た後、学校に行かなかったの。で遅くまで家に帰らなかった。
ここまではお父さん知ってると思う。
そしたら遼君が探しに来てくれて、見つけてくれたの。
だけどその時にはもう顔色がすごく悪かった。でも遼君が大丈夫って言うから気にしなかったの。
でも本当は辛かったみたいで、そのあと一緒に帰ろうとしたら倒れちゃったの」

143:優し過ぎる想い
07/03/14 01:21:03 gf91G/nY
わたしはここまで一息に言った。
「まず一つ。何で学校を休んだか聞きたい。がお前も年頃の娘だ、なんかあったんだろう。明日、ちゃんと学校に行くならそのことについては聞かないでやろう。しかし遼太君が倒れたことについては別だ。今お前が言ったことに嘘偽りや隠し事はないな。」
「今言ったことに嘘はないよ。」

ゴン

いきなりお父さんに頭を殴られた。
痛い。
「今回はこれで許してやる。きちんと事情を安井さんとお医者さんに言うんだぞ。」

ガチャ
「先生ありがとうございました。」
おばさんが処置室から出てきた。

「安井さん。うちの馬鹿娘が、本当に申し訳ありません。」「ごめんなさい。」
お父さんと私は謝った。
「いえいえ、うちの遼太が勝手に変なことしただけですから、大丈夫ですよ。本当に逆にご迷惑をかけてしまって」
「おばさん、遼君はどうなったんですか?」
「とりあえず、峠は越したと。多分大丈夫らしいですよ。」
「そうですか。よかった~。」
遼君の無事を聞いて自然と笑みがこぼれてしまう。

144:優し過ぎる想い
07/03/14 01:22:40 gf91G/nY
「心配してくれて、ありがとうね。だけどもう遅いからね?」
「それじゃあ失礼させていただきます。ほら葵帰るぞ。」
本音を言うと帰りたくない。遼君が起きるまでいて、そして謝りたい。
でもそんな長いこと居られても迷惑だろう。
「それじゃあ失礼しますね。」
「今日はありがとうね。面会謝絶じゃなくなったら連絡するから、お見舞いに来てね。」
「はい、失礼します。」

そういって私たち親子は帰った。

145:優し過ぎる想い
07/03/14 01:23:22 gf91G/nY
今、私は遼君の病室の前にいる。
あれから遼君からの連絡はなかなかこなく、もう10日も経ってしまっていた。

遼君と10日も会わなかったのも久しぶりだ。

コンコン
扉をノックする。
「どうぞ~。」
遼君の声だ。声を聞いただけでも、心に暖かいものが溢れてくる。
それに声を聞いた限りじゃ余りつらそうじゃない感じなのも私を安心させてくれる。
「葵だよ、入るね。」
ドアは音もなく開き、
そして私に衝撃を与えてくれた。
「よぉ葵。元気してたか?」
声ではわからなかったけど遼君は凄くやつれていた。
私が遼君をこんなに苦しめたのだ。
その事に、私は私を憎む。
「そうだ葵。ごめんな。あの時急に倒れちゃって。」
また、遼君は謝ってくれる。悪いのは私なのに。

146:優し過ぎる想い
07/03/14 01:24:35 gf91G/nY
本当に優しい人。でももう少し自分を労ってほしいとも思う。
「ううん、大丈夫。そもそも私の為に無理してくれたんでしょ。逆にありがとうだよ。それより遼君の方が心配だよ。大丈夫なの?」
「俺は大丈夫。心配するな、そうそう死にやしないよ。それより、うちの親とか学校で怒られなかったか?」
「ま~た、遼君は人の事をを心配してる。私はみんなに良くしてもらってる。
だからお願いだから、強がらないで。
私には本心を言って。
遼君を支えてあげたいの、ね?」





何故かとても長い沈黙が私たちを覆う。
私、何か変な事を言っただろうか。

でも遼君はなにかを言いたそうに、でも言いたくなさそうにしてる。

「ぁ・・・も・・・で」
遼君が何かをぼそぼそと言ったような気がする。。
「うん?遼君なにか言った。」

「葵、もう来ないで。」

147:名無しさん@ピンキー
07/03/14 01:30:52 gf91G/nY
投下以上です。
やっと起承転結の承まで終わりました。
自由気ままに書いてると、あれもこれもとどんどん長くなっちゃいますね。
取りあえずまだまだ長くなりそうですが、これからもよろしくお願いします。

148:名無しさん@ピンキー
07/03/14 02:06:53 +XKyqw2H
ここできるのかーうわぁー

149:名無しさん@ピンキー
07/03/14 21:15:55 ZjZ7K5Wk
投下乙です!
これもできればハッピーエンドにいって欲しいですなぁ……。

150:名無しさん@ピンキー
07/03/15 02:03:52 tn3FMg19
>>147
GJです!
ではこちらも投下します!

151:絆と想い 第8話
07/03/15 02:04:49 tn3FMg19
「っきしょー、寒くて仕方ねぇな……。」
そう言って正刻は布団をかぶり直した。

今は平日の午前中。本来なら学校へと行かねばならないのだが、風邪の症状があまりにもひどいため、流石に学校を休んでいるのだ。
熱は38度を超えており、汗を異常にかいているのに寒くてたまらない。薬は飲んだがまだ効いてきてはいないようだ。

「ったく……。こんなにひどく体調を崩したのはいつ以来だっけな……。」
熱で朦朧とした頭でそんなことを考える。正刻は元々体が丈夫な上に、体調管理をしっかりしていたために体調を崩すことは殆ど無かった
のだが、それ故に一度寝込むと悪化してしまうことが多かった。

「とにかく早く寝て回復しないと……。あいつらが心配しちまうからな……。」
そう言うと正刻は苦笑を浮かべた。
唯衣と舞衣には学校を休む旨をメールで伝えたのだが、二人とも心配して学校を休んで看病すると言い出したのだ。
「一応は腐れ縁の幼馴染だしね。あんたの世話を出来るのは私ぐらいのものだし……。それに、あんたが早く良くならないと、図書館の業務
 にも支障が出るでしょ? 言っとくけど、仕方なくだからね、仕方なく!!」
「君以上に大切なものなど私には存在しない! だから看病させてくれ! どうせこのままでは勉強など手がつかないし……。今すぐそちらへ
 行って私の肌で暖めてやろう!」

そう電話を寄こした二人に、気持ちは嬉しいが学校はサボるな、学校が終わったら看病に来てくれと正刻は伝えた。
二人とも大層不満そうではあったが、正刻の説得に不承不承といった様子で了解し、学校が終わったらすぐに来ると約束して電話を切った。

「全く、ありがたいんだか迷惑なんだかな……。」
そう言って少し笑うと、正刻はやがて眠りに落ちていった。





152:名無しさん@ピンキー
07/03/15 02:06:34 tn3FMg19
目を覚ますと、両親がいた。
自分はいつの間にか制服に着替えており、テーブルについていた。向かいには父が座っており、新聞を読んでいた。
と、横から料理を出す手が伸びた。見ると、母が料理を作り、運んでいる。目が合うと、母は優しく微笑んだ。
やがて料理が全て並び、皆で朝食をとった。他愛無い会話。どこにでもあるであろう日常的な光景。

ああ、幸せだ。

正刻はそう思った。そして同時に理解した。これは夢だと。もう自分が手にすることの出来ない、幸せな夢だと。

夢でも良い。少しでも長くこの幸せを感じていたい。
しかし、それも長くは続かない。
やがて朝食が終わると、父と母は立ち上がり、玄関へと歩いていく。
それなのに自分は椅子から立ち上がることが出来ない。出来るのは、ただ手を伸ばすことのみ。

待ってよ。俺を置いていかないでよ。もう一人ぼっちは嫌なんだよ。一緒にいてよ。一緒に連れてってよ……!

懸命に手を伸ばす。しかし届かない。やがて両親はどんどん小さくなって、見えなくなっていき……。

「父さん! 母さんッ!!」
喉を嗄らして叫ぶ。それと共に、どこからか、声も聞こえる。何だ? 誰だ? 邪魔するな、俺は今父さんと母さんを……!



153:名無しさん@ピンキー
07/03/15 02:07:13 tn3FMg19
「正刻! しっかりして正刻っ!!」
はっ、と正刻は目を覚ました。心配そうな顔をした唯衣がこちらを見下ろしている。見慣れた自分の部屋。時計を見ると、午後4時少し前だった。
「大丈夫? 凄くうなされてたけど……。」
そう聞いてくる唯衣に大丈夫だと答えて、正刻は深く溜息をついた。朝に比べれば体調はまだマシだったが、悪寒は収まっておらず、回復したとは
言えない状態であった。

「そういや舞衣はどうした?」
正刻は唯衣に尋ねた。朝の様子なら、授業が終わった瞬間に飛び出していそうなものだったが……。
「うん、生徒会でどうしても外せない用事が出来ちゃってね。あの子はサボろうとしたんだけど、そんなことしたら正刻が怒るって言って説得したの。」
「そっか……。ありがとうな唯衣。でも、お前も部活が……。」
「私の方は大丈夫。部長からちゃんと許可をもらってるから。」
「そっか……。すまないな、本当に……。」

そう言うと正刻は額の汗をぬぐった。汗をひどくかいている。正直気持ち悪かった。
「唯衣、悪いが着替えをとってくれないか?」
「うん、分かった。……はい、これで良い?」
そう言って唯衣は着替えを差し出した。ご丁寧にトランクスまで用意してある。
宮原姉妹は正刻の家に来て掃除や洗濯の手伝いをよくしていたので、この家のどこに何があるのかは大体把握しているのだ。

「ありがとな。早速使わせてもらうよ。」
そう言うと正刻は、パジャマのボタンを外し始めた。その様子に唯衣は顔を真っ赤にする。
「あ、あんたねぇ! 女の子の前で堂々と脱ぎ始めるんじゃないわよ!!」
「お、そうかすまん。じゃあ着替えるからちょっと部屋から出てってくれ。」
「遅いのよバカ!」
唯衣は肩を怒らせて部屋を出て行く。それを見届けた正刻は着替えを再開した。

「おーい、もう良いぞー。」
着替えを終えて布団にもぐった正刻は、唯衣に声をかける。唯衣はまだ顔を赤くしていた。
「何をそんなに照れてるんだ。俺の裸なんて見慣れてるだろうし大したもんでもないだろ。トランクスは平気なくせに。」
そう言う正刻に唯衣は猛然と噛み付いた。
「あんたと一緒にしないでよ! 女の子はデリケートなんだから!」

そんな唯衣に正刻は苦笑する。その様子を憮然とした顔で睨んでいた唯衣だったが、やがて少し表情を緩めて言った。
「正刻、お腹空いてない? 食欲があるなら何か作るけど?」
その提案に、正刻はほっとしたように答える。
「実は腹減りまくりなんだ。おかゆなんか食べたいな。」
「分かったわ。すぐに作ってくるからちょっと待ってなさい。」
そう言って唯衣は立ち上がった。正刻が脱いだパジャマやトランクスも持つ。それを見た正刻が慌てて言った。


154:名無しさん@ピンキー
07/03/15 02:08:04 tn3FMg19
「おい唯衣。それ汗が染み込んでて汚いから、持っていかなくても……。」
しかしそれを遮るようにして唯衣が言う。
「だから、よ。こんな汚いものを部屋に置きっぱなしじゃ病気も良くならないわよ。病人は大人しく、言うこと聞いてなさい?」
そう言って正刻に軽くデコピンをする。正刻は額を押さえてむー、と唸った。
「……分かった。じゃあ頼むな。」
「了解。じゃあゆっくり寝てなさい。」
そう言って唯衣は正刻の部屋を出る。少し歩いてふぅ、と溜息をついた。
ここまで具合の悪い正刻を見るのは久しぶりだったため、内心心配でたまらなかったのだが、それを表に出しては正刻を不安にさせるだけだと
思い、努めて普段どおりに振舞っていたのだ。しかも。

(父さん、母さんって呼んでたわよね……間違いなく……。)
そう、唯衣が合鍵(万が一の時のため、宮原姉妹は正刻からもらっていた)を使って正刻の家に入った時、
うなされるように両親を呼ぶ正刻の声が聞こえたのだ。
驚いた唯衣は急いで正刻の部屋に向かい、彼を起こした、というわけだ。

(やっぱり、まだ引きずってるんだね……無理もないけれど……。)
唯衣は正刻のパジャマをぎゅっと抱きしめた。彼の力になりたい。彼の悲しみを癒してあげたい。なのに自分は今一つ素直になれない。
そういった意味ではいつも自分の好意を素直に正刻にぶつけられる舞衣のことが、とても羨ましかった。

「私にも……あんな強さがあったら……。」
そう呟くと唯衣は、さらに正刻のパジャマを抱きしめる。すると。

「あ……。」
抱きしめたパジャマから、正刻の汗の匂いがした。かなりの量の汗をかいていたため匂いは結構きつかったが、唯衣にとってはとても良い匂いであった。
パジャマに顔を近づけ、その匂いを嗅ぐ。

「正刻……。正刻の匂いだ……。」
不思議な感覚だった。もし他の人間のものなら不快以外の何物でもないだろう。しかし、それが愛する人のものであるだけで、とても安心し、安らぎを
感じるとは。
と、しかしそこで唯衣は我に返った。顔が見る間に赤くなっていく。
「な、何やってんのよ私……! これじゃあまるっきり変態じゃない……!」
そう呟くと、唯衣はそそくさとパジャマを洗濯機に放り込み、おかゆを作るべく台所へと向かった。


155:名無しさん@ピンキー
07/03/15 02:08:45 tn3FMg19
「おまたせー。持ってきたわよ。」
その言葉に正刻はむっくりと上体を起こした。良い匂いが食欲を刺激する。
「あー、美味そうだな。早くくれよー。」
「慌てないの。ちょっと待っててねー。」
そう言うと唯衣はおかゆをスプーンで一さじすくうと、息を吹きかけて正刻へと差し出した。

「ほら。あーん。」
そう言って差し出されたおかゆと唯衣とを交互に見比べて、正刻は思わず訊いた。
「ゆ、唯衣? どうしたんだお前? 舞衣ならともかく、お前がこんなことするなんて……。」
すると唯衣は、顔を真っ赤にして言った。
「う、うるさいわね! 私だって好きでやってんじゃないわよ! ただ、あんたが食べにくいかもって思ったからやっただけで……。
 い、嫌なら良いわよ、別に……。」

そう言いながら唯衣は、こんな行為をしたことを後悔した。やっぱり自分にはこんなことは似合わないのだと。しかし。
ぱくり。差し出されたスプーンに正刻はかぶりついた。唖然とする唯衣を尻目にもぐもぐと咀嚼する。
「ま、正刻!?」
「うん、やっぱりお前の料理は美味いな。誰かに食べさせてもらうってのも、体が弱ってる時には良いな。……ほら、もっと食わせてくれ。」
あーんと口をあける正刻を見て、唯衣はほっとしたように笑い、言い訳や文句を言いながらも唯衣は楽しそうに正刻におかゆを食べさせた。

食事が済み、薬を飲むと正刻は再び横になった。唯衣はその傍らで本を読んでいる。静かな時間が流れていた。
と、その静寂を破るように、正刻が口を開いた。
「……唯衣。」
「……ん? なあに?」
「手を……握ってくれないか?」
突然の申し出に、唯衣は頭が真っ白になる。
「……駄目、か?」
いつもより弱弱しい様子の正刻の申し出を断れるはずもなく。唯衣は差し出された正刻の手をそっと握った。

「……どう? これで良い?」
「ああ、ありがとな。……やっぱり、お前の手は良いな。凄く落ち着くぜ。」
そう言って正刻はつないだ手にきゅっと力をこめた。唯衣は顔を赤くしながらも言った。
「な、何を言ってんのよ! 大体、特別だからね、今だけだからね!」
そう言う唯衣に苦笑しながら正刻は言った。
「特別、か……。じゃあ特別ついでに、少し話を聞いてくれよ。」
つないだ手に、更に力がこめられる。ただならぬ様子に、唯衣も真剣な顔になって頷いた。

それを見た正刻は天井を見上げ、淡々と話し始めた。
「今日、夢を見た。……父さんと母さんの夢だ。」
唯衣の肩がぴくり、と震えた。それに気づかず、正刻は続ける。
「俺と父さんと母さんとで朝食をとっている夢だ。話していることは、本当に……本当に他愛も無いことで、多分、どこにでもある日常
 って奴で……だけど、俺には、もう、二度と訪れない、得られない幸せで……。」
「…………。」
「だけど、朝食が終わったら父さんも母さんも俺を置いたままどこかに行こうとして……なのに俺は動けなくて……一生懸命手を伸ばしても、
 二人を呼んでも俺の元には戻ってくれなくて……そ、それで……俺……!」
気がつくと正刻は泣いていた。慌てて涙をぬぐう。
「す、すまねぇ。泣いちまうなんて、いい歳してみっともないよな。すま……」
正刻の謝罪は途中で遮られた。唯衣が正刻の頭を抱きしめたからだ。

「ゆ、唯衣!? 何だ、どうしたんだよ!?」
舞衣ほどではないが、それでもしっかりと膨らんだ胸に顔を埋める形になり、正刻は慌ててしまう。
そんな正刻の髪を撫でながら、唯衣は優しく囁いた。
「みっともなくなんかないよ。」
正刻は、ぴくり、と体を震わせた。唯衣は更に続ける。
「あんたが一人でずっと頑張ってきたこと、頑張ってること、私はちゃんと知ってるよ。私だけじゃなく、舞衣や鈴音、父さん、母さんもね。
 だから、こんな時くらい弱音を吐いたって良いんだよ。泣いたって良いんだよ。大丈夫、大丈夫だから……ね?」
そう言って正刻の髪を優しく撫ぜる。その優しい仕草に。抱きしめてくる体の温かさと柔らかさに。
正刻は言葉で言い表せない程の安らぎを感じ……そして。
「うっ……ぐっ……父さん……母さん……っ!!」
唯衣を力一杯抱きしめ返し。正刻はその胸で泣いた。ひたすらに。思い切り。子供のように泣きじゃくった

156:名無しさん@ピンキー
07/03/15 02:09:34 tn3FMg19
「……畜生。でかい借りを作っちまったな。」
ようやく泣きやんだ正刻は、バツの悪い表情で言った。ちなみに手はまだつながれている。
唯衣は微笑むと、囁くように言った。
「全くね。これでもうあんたは私に頭が上がらないわね。」
恨めしげな目線を向けてくる正刻に噴き出すと、唯衣は言った。

「……冗談よ。さっきのことは、私とあんただけの秘密ってことにしておいてあげるわよ。」
その言葉に心底安心したのか、正刻は欠伸を一つした。
「唯衣、すまねぇ。少し眠っても良いか?」
「いいよ。あんたが起きるまでここに居てあげるから……安心して眠りなさい。」
「あぁ……ありがとうな……。」
そう呟くと正刻は、ほどなく眠りに落ちていった。

規則正しい寝息を立て始めた正刻を、唯衣は愛しげにみつめた。
「でも、私があんな大胆なことするなんて……。」
そうして唯衣は、先ほどの行為を思い出した。泣いている正刻を見た瞬間、自然に体が動いたのだ。そしてそれは、決して嫌な感覚ではなかった。
自分の胸で泣きじゃくる正刻に、愛しさが溢れ出るのを押さえ切れなかった。

唯衣は正刻の顔を見つめる。大分楽になったのか、安らかな顔をしている。
唯衣はその横顔を眺めていたが……やがて一つ頷くと、自分の顔を近づけた。

正刻の額にかかった髪を軽く払いのけ、自分の髪も押さえる。そして、顔を……唇を近づける。やがて。

正刻の唇に、唯衣の唇が押し当てられた。
正刻の唇は熱のせいか、ひどく熱かった。しかし、その感触は大変心地よく、病み付きになりそうだった。
唯衣は二回、三回と唇を押し当てる。唇の間から、どちらのものとも分からない「ん……」という吐息が漏れ出る。

唯衣は正刻の顔を見下ろすと、くすり、と笑った。
「ふふ……正刻……。私のファーストキスをあげたんだから、ちゃんと責任とってよね……?」
眠っている正刻はそれでも何かを感じたのか、「うぅん……。」と寝返りをうつ。それを見て、唯衣はまた笑った。

その後、もう一回キスしようとしたところを帰宅した舞衣に見られて必死に弁明したり、その騒ぎで起きた正刻に舞衣が「唯衣だけずるい!
私もするぞ!」とキスをせまってアイアンクローをされたり、翌日全快した正刻とは裏腹に休むほどではないが風邪を引いてしまった唯衣を
舞衣がからかったりしたのだが、それはまた別のお話。









157:名無しさん@ピンキー
07/03/15 02:10:06 tn3FMg19
以上ですー。ではー。

158:名無しさん@ピンキー
07/03/15 02:26:27 k31tthhM
GJです!!

唯衣のかわいさに胸が締め付けられる~。

159:名無しさん@ピンキー
07/03/15 17:05:53 h6qQ8/ix
GJ!!
唯衣が舞衣より先にキスをするなんて・・・予想外だ!!
トリアエズ続きが気になる


160:名無しさん@ピンキー
07/03/16 00:58:14 EoWkctnl
GJです。

倉庫更新されましたね。

161:Sunday
07/03/18 02:14:25 ESCYU3ul

 落ち着いたように振舞っても、胸の中で脈打つ鼓動は、平静にはならなかった。どくんと
波打つ強い音が、耳の真横から聞こえてくるようで、今目の前にいる崇兄の顔を見つめる
余裕が持てなかった。

『じゃあ、な。元気でやれ』

 夢の中で呟かれた最後の言葉が、紗枝の身体の震えを加速させる。確かに、夢の出来事で
良かったと思う。それが分かった時、全身の力が抜けるくらいにホッとした。だけどそれが、
現実にならないという保障はどこにもないのだ。

「大事な……話なんだ」

 話をするようけしかけられ、重たくなってしまった唇を必死に動かし始める。漏れだす
気持ちを必死に抑えて、言葉を紡ごうとする。

 最初は昔のようにつまらないことで喧嘩していたのに、途端に変化していったあの様相は、
まるで上手くいかずにここまで来てしまった二人の関係を、あの一時に隙間無く締め固めた
ようだった。途中でつまらない意地を張ったものだから、興味を失われ彼も失ってしまった。
そしてそれは、現実でも同じ道を歩もうとしている。

「本当は……会いたくなかったんだろ…?」

 途中まで同じ道をなぞられたのだ。それが彼女には、どうしようもなく怖かった。

「……」
 彼は言い返してこない。否定もされない。
 
 本当は首を横に振って欲しかった。「そんなわけないだろ」と言って欲しかった。だけど、
そう言ってくれるわけないってことも分かっている。距離を置こう、そう言ってきたのは
崇兄のほうだから。
 実際、こうして久しぶりに彼と顔を合わせても、あまり歓迎されてる様子が無い。仕方ない
ことだけど、大好きな人にそんな顔をされるのがやっぱり悲しくて。

「どうして…あんなこと言ったんだよ」

 泣きそうになる気持ちを抑えようとすると、どうしても言葉が乱暴になってしまう。
 だけど、彼女はもう引かなかった。何よりも恐れる事態を、仮想の世界で味わってしまった
ことに、皮肉にも背中を押されてしまう。両手で、彼の片方の手のひらをぎゅっと握る。
夢の中で頭を撫でられたほうの手を、無意識におもむろに掴んでしまっていた。それは
口調とは裏腹な、縋りつくような弱々しい仕草だった。

「理由は…言わなくても分かるんじゃないか」
 振りほどかれることなく、だけど握り返されることもなく、答えが返ってくる。声にも
抑揚が無い。どうやらギリギリのところで気持ちを押さえ込んでいるのは、彼女だけじゃ
ないらしい。


162:Sunday
07/03/18 02:15:32 ESCYU3ul

「……」
「お前のほうが、分かってるんじゃないか」

 どうしてだろう。どうして崇兄がそんな声を出すんだろう。
 
 視線と同じように、言葉も気持ちもすれ違ってばっかりで。彼女は入り口側、彼は窓側に
首を僅かに捻らせてしまう。見たいけど、見れない。合わしたほうがいいのだろうけど、
合わせられない。余計なことを言って相手を不愉快にさせて、もう目の前でタバコを吸われたり
頭を撫でたりして欲しくないのだ。

「嫌じゃないのか」
 言われた瞬間、その時の一場面が脳裏に鮮明に浮かび上がってしまう。具体的なこと
なんて何一つそこには無かったけれど、それが何を指しているか、分からないはずもなくて。
それだけのことでビクリと緊張してしまう自分が、情けなくて腹立たしかった。

「お前は……辛くないのか」

 現実と夢が交錯する。彼の部屋にいるのかと思えば、背景が並木道に入れ替わったり、
何も無い真っ白な空間になってしまったり。台詞が被っただけなのに、強烈な既視感を
覚えてしまう。
 彼が、紗枝が今まで見ていた夢の内容なんて知るはずがない。言おうとしていることは、
何日か前に彼自身が犯した過失のことなのだろう。嫌だとか辛いだとか、自分を卑下する
その態度に、普段に無いその態度に、胸にちりちりとした違和感を覚える。

「確かに…辛かったけどさ」

 辛かったし、今も辛い。だけどここでこらえなければ、もっと辛い未来が待っている。
それが逆に、紗枝の心を強くさせる。彼女にとって一番辛いことは、隣に彼がいないこと
なのだから。
「一度誤解しちゃってたし…今度は信じようって思った矢先だったから……辛かったけどさ」
 もう一週間以上も前の出来事なのに、今でもはっきりと思い出せる、思い出したくない
最悪の現実。一度関係が終わってしまった時と同じくらいに、悲痛な気持ちを味わって
しまった認めたくない事実。あの出来事を、責め立てたい気持ちが無いわけじゃない。


「けど……崇兄と会えなくなるのは、もっと嫌だ」


 だけど、その度に胸に宿った想いはいつも同じで。実際顔を合わせれば、意地を張って
文句や嫌味が口をついて出てしまうのに、家に帰って一人部屋に戻れば、ベッドの上に
寝そべって、一緒に写った写真をじっと見つめ続けるという行為を繰り返し続けていた。
 一人になったら膝を抱えて後悔して。付き合い始めた頃はもう二度とやらないだろうと
思っていたその行為が、今日まで続いてしまっていることに、戸惑いは隠せなかった。
「嫌か」
「嫌だ」
 最後の一言を反芻されて、反芻し返す。いちいち迷っていたら、興味を失ったような
溜息を吐かれてしまいそうで、それが怖かった。何かを言うたびに相手の反応を待って
しまうのは、やっぱり別れを切り出されることが怖いのだ。

「けど…そういう時期も、前にあったろ」
「……」
 距離を置いたっていいじゃねえか。一度お互いに経験してるし問題ないだろ、そういう
ことを、彼は伝えたいんだろう。

 だけど当然、納得できない。こうして会えたのが、いつ以来のことだと思ってるんだろう。
こうして話をしているのが、いつ以来のことだと思ってるんだろう。


163:Sunday
07/03/18 02:17:20 ESCYU3ul

「あの時は…話をしないどころか、会うことさえ無かったわけだしな」
 なんでそんなに、時間と距離を挟みたがるんだろう。会うことも、話すことだってこうして
出来ているのに。
 それはもしかして、もしかしたら……

「ずっと傍にいたい、いて欲しいって思っちゃいけないの?」

 視界が揺れる。信じたくない、信じたくないけど、今までの結果は全て最悪な道筋を
通ってきた。引き裂かれるような痛みが、胸に大きなひびを作る。
 距離を置こう、時間を置こうって言ってるのは、あくまで傷つけないように仄めかした
建前で、本音は自分のことが鬱陶しくなって、もう別れたいんじゃないのかと悲観した考えが
頭にまとわりついてしまう。

バキリッ

「…!」
「そうじゃねえ…」
「……」
「俺が言いたいことは……そうじゃねえんだ」
 そんな思考を遮られるように、彼の口の中で大きな音が爆ぜる。舌の上で転がしていた
飴玉を、奥歯で一気に噛み砕いたようだ。バリボリと何度も音を立てていると、やがて喉を
動かして甘い欠片を一気に飲み込んでしまう。

「お前と別れたいとか、この関係を終わらせたいとか、そんなこと思ってるわけじゃない」

 そこで初めて、握りしめていた手に力を込められ握り返される。温かいはずなのに、
どこか冷たい。待ち望んでいた行為だったのに、頭の中が冷めてしまっている。それは
おそらく、これから彼が言おうとしていることに、不安が膨らんでいるからだ。
「お互い冷静になれてないし、このままだとこじれるだけと思ったからああ言ったんだよ」
「……」
「実際、今こうして話してても、俺の言いたいことが伝わってないみたいだしな…」
 飴玉を噛み砕いたのは、冷静になるためだったのか。それとも今言ったような不満が募って
爆発してしまったのか。
 だけど、真意が伝わってないのはこっちだって同じこと。気持ちをしっかり伝えたいのは、
こっちだって同じことなのだ。


「あたし達は…恋人同士の前に、幼なじみなんだよ?」


 揺れて歪み、曲がってくねる。震えて霞み、潤んで溜まる。

「……?」
 親友に言われるまで、ずっと忘れていた当たり前のこと。未だに顔は合わせられない。
だけど空気の震えが、彼の表情を教えてくれる。なんで今そんなことを言うんだ、そんな
感情が伝わってくる。

「あたしのこと……何年も付き合ってるんだから、分かってくれてるんだろ…?」

 八ヵ月前に、自分の気持ちの歯止めを取っ払ってしまった彼の言葉を、今この時になって
言い返す。
「それは…」
 
「どれだけの間…崇兄のことを好きだったと思ってるんだよ……」


164:Sunday
07/03/18 02:18:31 ESCYU3ul

 物心ついた時には、もう携えていた高鳴る想い。それは決して消え去ることなく、ずっと
重なり募り続けてきた。たとえ崇兄に、自分じゃない恋人が出来ても。逆に彼のことを
忘れようと、自分が他の人と付き合い始めても。どこがいいのかなんて分からない、相手が
彼じゃないとダメなんだというある意味理不尽なこの感情は、恋とも愛とも言えないもの
だった。

「崇兄があたしのこと、恋人として扱ってくれるのは凄く嬉しいって思う。けど、恋人と
しての役割だけなら、あたしじゃなくても出来るじゃないか」

 少しでも、彼の存在や時間を、他の人より独占したかった。

 家が離れ離れになっても、友達と遊ぶ時間を潰してまで彼に会いに行った、それが理由。

「だからあたしは……崇兄の全部がいい」

 大事にされたことなんて無かったから、大事にされようと努力した。

 性格を改善したり、似合ってると言われた髪形を続けてるのは、全部彼に意識してもらう為。

 恋人としてだけじゃなくて、幼なじみとしての役割も果たしたかった。今でもたまには、
妹のように甘やかして欲しかった。ワガママだと分かっていても、心臓を壊すこの気持ちを
止めることなんて出来ないし、逆らうことなんてもっと出来ない。
 それだけ、これまで生きてきた分と同じ年月を重ねた慕情は膨らんでしまっていて、
求めるものも増えてしまっていたのだ。

「確かに…さ。お互いすれ違ってて、上手くいかなくて、会えなかったりしたけどさ」

 信じられなかったのも、起こってしまったことも、それらはいくら目を背けても変わる
ことはない。

「けど、崇兄、言ってただろ。『お前のこと好きだ』って。『何度でも言える』って」
 
 そして夢の中の仮想世界も起こりえる、未来の可能性としてあり得ることなのだ。

 振って沸いて急激に強めていった想いと。そこにあるのが当たり前で、年齢の分だけ
胸のうちに携え続けてきた想い。

 これ以上傷つけたくなかったから、お互いに冷静にならないといけないと思ったからと
あくまで彼は言うけれど。彼女からすればそれは、別れ話にしか聞こえなかった。そこに
込められた意味がどうであれ、言葉そのままに傷つけられ、身体を貫かれてしまうのだ。


 幼なじみだから知っている。今村崇之という男は、性格や行動パターンは正確に見抜いて
はくるけれど、その時の気持ちまでは考えてくれないということを。
距離を置こう、そう言われた時に紗枝自身がどう感じるのか、それに気付いてはくれないのだ。
 
「崇兄はいいよ。あたしと別れても、しばらく経ったら他に好きな人作れるんだしさ」
 
「紗枝……」
 少し考えれば分かることだけど、崇兄のことだから考えようともしなかったに違いない。
ずっと嫉妬する気持ちを押し殺して、新しい彼女を紹介されるたびに笑顔で祝福せざるを
得なかったあの気持ちも、彼は知らないままに違いない。

「けど……だけどさ…」

 そして本当は、こんな汚いことを言う自分を見て欲しくなんかないのだ。


165:Sunday
07/03/18 02:19:41 ESCYU3ul



「あたし…あたしには……崇兄だけだもん…っ」



 それまでずっと乱暴な口調だったのが、途端に幼くなってしまう。

 お互いには当然のことだから、分からなくて当たり前なのだけど。彼女は彼以外の相手には、
決してそんな口調では話しかけなかった。それが隠そうとしても隠し切れないままだった、
彼女自身も気付いていない、何よりの気持ちの表れだった。

 夢であって欲しい、夢なのかもしれない。そんな現実を味わってきた。心細くなりそうな、
黄昏時の河原の傍で。人通りもまばらな、曇り空広がる駅前の交差点で。似ていて異なる、
だけど想いは真逆の二つの記憶。

 五ヶ月前、初めて秘め事を交わして手を繋いで帰路につく途中のこと。その時のことを
紗枝はよく覚えていない。

 覚えているのは唇に感じた初めての感覚と、心配をかけ続けた両親にひたすら謝り続けた
ことと、確信の持てない霞掛かった記憶だけ。ようやく元のカタチになって、更に想いが
叶った直後の帰路の途中。どんな会話をあの時交わしたのかまるで覚えてなくて、それを
思い出せないことが歯痒くて、だけど崇兄に聞くのは照れ臭くて。嬉しさよりも戸惑いが
勝っていたのも、片想いする期間が余りにも長かったからだった。一週間後の初デートの
時に彼が遅刻して腹を立てるまで、その夢心地には脚を突っ込んだままだった。

 優しくして欲しいのに、いざ優しくされたら戸惑うばっかり。からかったりされるのが
悔しくて普段から散々文句を言うのに、いざされなくなったらどことなく寂しかったり。
 
 恋人同士になって、初めて分かったことだった。声が聞ければ、話が出来たら、傍にいれたら。
その時間が長くなっただけでも、嬉しかったのだ。
 だけどそんな真っ白すぎる想いが相手の、崇兄の気持ちを裏切り続けたことに、自分では
気付けなかった。

「だから……やだ」
「……」
 声は完全に涙に覆われていた。その身体は、布団に横たわっていた時よりも随分小さく
なってしまったようにも思えて。

「……別れるとか…終わらせるとか、……そんなこと、考えたくない」

 ずっと手を握り続けていた両手が、沿うようにするすると身体を上っていく。そのまま
両肩口に恐る恐るもたれかかる。紗枝は膝を立て、崇兄は腰を下ろしたままで、普段とは
背の高さが逆のまま、そのまま自然と二人の距離が近づいていく。

「……」
「……っ」

 久しぶりの感触は、深くて、長くて、触れた箇所から脳の芯まで、全てが溶けてしまい
そうで。紗枝からするのも初めてで、それだけに余計に甘い痛みが走る。
「……お願い、崇兄」
 吐息を強く混じらせてしまいながら、頭の中で考える言葉と、実際に出る言葉が大きく
剥がれて離れてしまいながらもそっと呟く。
 この言葉を彼はどんな思いで聞いてるんだろう。言葉とは別の場所で、頭がそんな不安を
よぎらせる。


166:Sunday
07/03/18 02:21:20 ESCYU3ul

「もう構ってくれなくてもいいから…いくらでも浮気したっていいから……」
 震える髪の毛、漏れる嗚咽。それが伝わるのが、どうしようもなく切なかった。


「だから……そんなこと…言わない…で……」


 好きでいるのが当たり前だった人。
 何をしても何をされても、それを全て大切な想い出にしてくれた人。
 長い年月をかけてゴールして、新たにスタートしたかけがえのない気持ち。それだけは、
その気持ちを向ける本人自身が相手だとしても、変えることも譲ることも出来なかった。
「……」
 歪んでしまった視界に、歪んだ表情の崇兄が映る。その顔が、黙ったまま見上げてくる。
自分の気持ちで精一杯だった彼女には、それがどういう表情なのか、もう分からなくなって
しまっていた。

「そんなこと、言わなくていい」
 
 燻る不安を掬い取られて、彼にひどく穏やかな声で言葉を返される。静かに背中に手を
回され、抱き留められ力を込められると、少し隙間の空いていた距離が零になる。
「悪いのは俺だ。それなのに、お前が折れることない」
「……」
 怖がってしまったのは、直前に見た夢のせいでもあった。されたこともないくらいの
冷たい態度に打ちのめされ、目覚めてもすぐ傍に崇兄がいて、明確な夢と現の境界線を
引くことが出来なかった。だから、どうしても素直に顔を合わせることが出来なくて、
今度は思わず目を瞑ってしまう。

「ごめんな、紗枝」

「え…」
 すると、謝られてしまう。こんなこと、今まで一度も無かった。
「こっそり他の女と会って、約束すっぽかして、それでお前とは会わない方がいいとか、
自分でも最悪なことばっかやってると思ってる」
 背中に感じていた手の平の感覚が段々と下がっていき、やがて無くなってしまう。

「正直……お前に三行半を突きつけられても仕方が無いことだと思ってる」

「……」
 今までに無い態度と彼の言葉に、ようやく気付いたのだった。

(崇兄……あたしが別れ話をしに来たと思ってるんだ)

 本当のことを、本心を言って欲しい。そういった言外に込められた意味を、感じ取る。
彼は紗枝が今まで言い放った言葉を、まだ信じていないのだ。自分自身が、どれだけ
彼女から愛されているか、分かっていないのだ。

「本当の…ことなら……もう言ったよ…?」

 そこでようやく、その目を怖がることなくしっかりと見据えられる。すると崇兄の眉間のが
ぴくりと僅かに反応した。首の後ろにしゅるりと腕ごと手を回してしがみつくと、もう一度、
今度はさっきよりも短く、だけど深くつがわせる。

「あたしが好きなのは……崇兄…だけだよ…?」

 嘘じゃない、ほんとの気持ち。今だけじゃなくて、ずっと変わらなかった正直な気持ち。
 そのまま彼の頭をぎゅっと掻き抱く。今までに無かった気持ちが背中を押してくれるのか、
兄妹という枠から逸脱した仕草を、ごく自然にとってしまう。


167:Sunday
07/03/18 02:22:37 ESCYU3ul

「……」
 黙ったまま、されるがままの頭を、生まれて初めてくしゃりと撫でる。それは夢の中で
された、仕返しという意味もあった。
「……いいのか、それで。…後悔するかもしれんぞ」
「しないよ。崇兄なら……後悔なんてしない」
 もう一度同じ質問を問いかけられるけど、もう迷わなかった。間髪入れずに、言葉を返す。
「…そか」
 そしてまた、大事な物を胸の中に収めるように、ギュッと抱き締めなおす。
「あたしが好きだったのは崇兄だけだし……これからも…そうだもん」
「……そか」
 全く同じ抑揚の応答だったけど。二度目の反応は、一度目より少し遅れていて。それが
少し、可愛くて。腕が勝手に力を込める。
 すると。

「はー……っ」

 疲れきったような、全てを吐き出すような溜息が、胸元をなぞってくる。
弱さを見せた彼の声は既に知っていたけど、姿を見るのは初めてだった。

「あ~~~……っ、良かった」

 声が掠れきっていたのは、そこに溜息が強く混じっていたからなのか。肩口にぐったりと
頭をもたれさせてきながら、また背中に腕を回してくる。張り詰めていた糸が全部一気に
切れてしまったかのように、その身体から力が抜けていく。


「本当に"別れよう"って言われたら、どうしようかと思ってた」


 ……

「……ずっと?」
「ずっと」
「…ほんとに?」
「ほんとに」
 同じ言葉が、イントネーションだけ変わって、インターバルを置くことも無く返ってきて。
「……」
 自分にもたれかかって後頭部しか見えないけれど、今どんな表情をしているのか無性に
見たくなってしまう。だけどそんなことすればひねくれてる彼のこと、ぶすくれだって
途端に機嫌を悪くするに決まってる。
 だから、やらない。もうちょっとだけでいいから、こんな崇兄を見ていたかった。

「あたしも…崇兄に嫌われたんじゃなくて良かった」

 代わりに、今の素直な気持ちを、そのまま口にする。
「……ごめんな、紗枝」
 すると彼の頭が少し動いて、微かな吐息でさえ届きそうな距離から、真っ直ぐと見つめ
返してきた。
「もうお前に、寂しい思いさせないから」
 声はもう掠れてはいなくて。彼の顔を見つめ返していると、何故かまたさっきまでとは
違う理由で涙腺が緩みだす。

「俺もお前を、嫌いになるなんてことないから」

「……」
 ずくぅ、と胸が強く疼く。ここまで強く、大事に想われてただなんて知らなかった。
「それに悪いのは全部、俺だしな…」


168:Sunday
07/03/18 02:24:14 ESCYU3ul

 ……

 そして今の言葉に、違和感を覚えた。
「それは……違うんじゃ…ないかな」
「…?」
 だから、反発する。

 やっぱり、彼が浮気をしたのは自分の態度が原因だったって気付いたから。真っ白すぎる
思いばかりを大事にしすぎていて、相手のことなんてまるで考えられなくなっていたから。
そしてそれを自分一人で気付くことができなかったのも、本当に申し訳なかった。

「あたしも…前と同じで、さ。……崇兄に悪いこと…しちゃったし」
「何言ってんだよ、お前は別に…」
「だって」
 反論しようとした彼の言葉を、ぴしゃりと遮る。

「だって…崇兄が何もしてこなかったのは、あたしのこと考えててくれたからでしょ?」

 彼の本心を知った今だから分かること。今の本当の距離感が分かったから言えること。
「あたしがこういうことに慣れてないから…ペースあわせてくれて我慢してくれて……
それで我慢できなくなって、浮気しちゃったんでしょ?」
 言うと同時に、バツが悪かったのか決して口にしなかった本心を言い当てられたのか、
崇兄はふいと顔を逸らしてしまう。
「……まあ、な」
「でしょ?」
 全ての責任を大好きな人になすりつけるなんてことを、したくはなかった。そんなことを
したくない相手だから、いちばん大好きな人なのだ。

「同じくらい、お互い問題があったなら、なのに崇兄が謝ってくれるなら…あたしも何か、
しなくちゃいけないと思うんだ」

「……」
 そんな様子に愛しさを募らせながら、自分がどうしたいかをしっかりと伝える。意見や
気持ちをしっかりと言わなかったから、すれ違ってしまってたわけだから。
「崇兄は…どうしたらいいと思う?」
 だけど具体的に何をすれば良いかが分からなくて、相手にそれを尋ねてしまう。

「……」
「……崇兄?」
 すると、それまでずっとぐったりとしていた彼の身体が、ふいに軽くなった。背中に
回されていた両腕も即座に動いて、右腕で右肩を力強く肩を抱かれてしまう。そのせいで
しっかりと正面を向き合っていた身体は、横向きに変わってしまった。残っていた左腕は、
両膝の裏に通され太腿をやんわりと包まれる。

「わ……え…っと」

 分かりやすく言えば、お互いに尻餅をついている状態のまま、お姫様抱っこをされて
しまったのだった。

 脚を掬われたことで唯一不安定に床と接していたお尻の周りも、あぐらを掻いていた
彼の両脚にしっかり包まれてしまって、自由に身体を動かせなくなってしまう。不安定に
なってしまった体勢をどうにかしようとして、比較的自由に動かせる右手を崇兄の胸元に
添わせてしまう。


169:Sunday
07/03/18 02:25:58 ESCYU3ul

「…お前さ」
「……?」
 随分と緊張しているような面持ちだった。それがどうしてなのか、紗枝には分からない。
「自分がどういうこと言ってるか…分かってるか?」
 途端に声色が変化する。すると急に、顔の周りの空気が張り詰めた。
「え…」
「この状況でンなこと言ったら、俺がどういうこと言うかくらい…分かるだろ」
 体勢が変わってしまったことで、ずっと密着していた身体に若干の距離ができてしまう。
それがちょっとだけ不満でもう一度その距離を埋めたいと思ってしまうものの、がっちりと
抱き止められてしまっていて、上手く体勢を変えることが出来ない。

「あ…」

 だから思わず、また彼の顔を見つめ返してしまう。

 いつもいつも、真面目な顔なんて見せてくれなかった。それは裏を返せば、それだけ
甘やかされてるということだったんだろうけど、それが嫌だったわけじゃないんだけど。
やっぱり、いちばん大好きな人のいろんな表情を見たいと思ってしまうのは、当然の話な
わけで。
 
 見たい見たいと、願い続けていたわけじゃないけれど。幼なじみだった自分には、一度
だって覗かせてくれなかったその表情を、自分じゃない違う女の子に振り撒いているのを
見てしまった時。泣きたくなるくらいに、心はいつも燻りちりついていた。

 だから。

 だけど。 

 この場で一体、何度目の「初めて」なのだろう。


 崇之が見せた、何事にも迷わず惑わされないような、ひねくれた男の真っ正直な表情は。
彼が異性を求める時にだけ垣間見せるものなのだと、紗枝はその時知ったのだった。


「…ぇ…ぅ……」
 崇兄の言った台詞に、具体的なことを表す言葉は何一つなかったけれど。それでも、
何を言おうとしているのか、分かってしまって。
 たじろがずにはいられなかった。それを彼がこの状況で敢えて言ったということが、
どういうことなのか。他に理由が見つけられなかった。

「…えと……ぅ…」

 声を、鼓動がかき消してしまう。自分の身体全体が、一つの心臓になってしまったんじゃ
ないかと錯覚してしまうくらいに、その音は大きくなってしまう。

「さっき、俺が相手なら後悔しないって言ったもんな」
「それは! その…それは……ぁぅ…」

 また段々と崇兄の顔が近づいてきて、ごちりと額を当てられると、それに併せて口調も
たどたどしくなって、声も小さくなってしまう。この距離で彼の顔を見つめるのは、本当に
心臓に悪い。
 六畳はある部屋なのに、狭い狭いダンボールに二人で閉じ込められたような錯覚を覚える。
その異常なまでの閉塞感が、紗枝の頭から身体を離すという選択肢を奪い取ってしまう。


170:Sunday
07/03/18 02:27:18 ESCYU3ul

「わっ、分かんないよ」
「んー?」

「その、あたしが言ってることは、そのままで、別に、ほ、他に、意味なんて無いってば」
 イヤだとか、ダメだとか、そういう言葉をせっかくのこの場この瞬間に使いたくなくて。
バレバレなのは自分でも分かっていても、とぼけた振りをしてその追求から逃げ出そうと
してしまう。
「ほんとかぁ?」
「だよっ」
「ほんとにぃ?」
「だから、そう言ってるだろっ」
「…そか」
 売り言葉に買い言葉ってわけじゃないのだが、分かりきった嘘に付き合ってくれる彼の
優しさに甘えてしまって、そのまま今の言葉を突き通そうとしてしまう。
 やっぱりどれだけ想いが強くても、長い時間かけて変えることもできず培ってしまった
性格は、上手く抑え込むが出来ない。
 そしてそう口走ってしまった直後に、またほんの少しだけ後悔を募らせてしまう。
「じゃあ、そろそろ離してもいいか?」
「え…?」


「正直、これ以上抱きしめてたら、自信無い」


「……」
 耳の皮膚が勝手にうごめく。大した運動じゃないのに、それがものすごく熱い。
 
 勇気を振り絞ってここまで来たけれど、紗枝の頭の中には、今以上のことをしようなんて
考えは存在していなかった。仲直りできて、また崇兄にこうして抱き留められるだけで、
十分嬉しかった。
 
 長い長い片想いをしていた頃は、時折彼とのそういったことを想像したりはしていた。
とはいってもその様子は、あまりにもぼやけてて、あまりにも断片的だったわけだけど。
 だけど晴れて恋人同士になれてからは、付き合うという事実だけで満足してしまって、
自然と考えなくなっていた。
「……」
 そういうのが苦手だったっていう理由もあるけれど、やっぱり嬉しかったから。あの時は、
崇兄の時間を今まで以上に一人で占領出来るようになった事が、何よりも嬉しかったから。
彼女の恋愛には刹那の秘め事の先は無く、そこで終わりだったのだ。

 そしてそれが、真っ白すぎた想いを生んでしまったわけだが。

「だから、な? 離すぞ」
 その言葉と共に、彼はかち合わせていた額を離す。身体が急に、寒くなる。
「……」
 寂しがりやっていう性格もあった。それだけに、お互いの距離を零にしてしまう行為が、
何よりも好きになってしまっていた。
 
 終わりかけた状態からまた、一番幸せな状態に舞い戻れたのだ。仲がこじれてしまった
ことで足りなくなってしまった時間を、そうすることで埋め合わせていたかった。まだまだ、
彼との距離を狭めていたかった。


ぎゅっ


 それで例え、終わりの先を知ることになっても。



171:Sunday
07/03/18 02:30:05 ESCYU3ul

「……紗枝?」
「…崇兄……」
 肩に頭をもたれさせたまま、添わせていた右手に力を込める。彼の服の胸元の部分を、
皺が走るくらいに強く握り締めてしまう。
 
 それに、あの、あの崇兄が謝ってくれたのだから。自分も何かしなくちゃいけないという
気持ちも未だ胸に在り続けている。そのどちらもが、心の底からの本心だった。

「一つ……お願いしていい…?」
「……何だ?」
 聞き返してくる声があまりにも優しくて、それだけで涙が出そうになる。

「……」
 物凄く息苦しくなって、呼吸の仕方を再確認してしまうくらいに気が動転してしまう。
水に潜ったわけじゃないのにこんなにも息が乱れてしまうのは、それだけ気持ちが精一杯
だという証明だった。



「今までで…一番……優しくしてくれる…?」



 自分がそういうことをしたいとか、そんな風に思われたくなくて。言い慣れない台詞に、
顔から火が出るくらいの恥ずかしさを覚えて、完全に瞳が潤んでしまう。
 彼の顔を見れなくなったわけじゃなくて。今度は、自分のそんな表情を見られたくなくて、
また俯いてしまった。

「……」
 視界から彼の顔を外す直前、ひどく驚いた表情だったのが見える。肩を抱く手の力が、
またほんの少しだけ強くなった。

「……だめ…?」

 答えが返ってこなくて、自分の胸元を見ながら不安な気持ちに襲われる。
気付くと、額が撫でられるように手の平で覆われていて、そのままくっと力を込められる。
顔の向きを動かされて、今度は強制的に瞳をかち合わせてしまう。かろうじて収まって
くれていた、そしてまた急速に縁に溜まり始めた瞳の雫。それがその瞬間、音を立てずに
零れ落ちて、すらりと流線を描いていく。
 また目を逸らしたいのに手が額を離れてくれなくて、それが出来ない。

 雰囲気はもう移ろい終えて、気持ちも切り替わってしまっていて。

 問いかけに、首を縦に振ってもらうだけじゃ駄目だった。

 もし彼が嬉しさのあまり、いつものように茶化してきたりでもしたら、きっとそれだけで
泣きじゃくってしまう。そうなった時の顔を、もう見られたくなんかないのに。強くなったと
思われたいから、また自分の弱さを曝け出してしまうことが、怖かった。

「……いや…」
 だけど彼は幼なじみだから。生まれてから今まで、ずっと一緒にいてくれた人だから。
そして物心ついた時から、いちばん大事で大好きな人だから。


「ちゃんと優しく…してやる」


 そんな気持ちを、ちゃんと分かってくれていて。


172:Sunday
07/03/18 02:30:55 ESCYU3ul

 

「一番優しく……してやる」


 額を抑えつけていた手が、耳と輪郭と顎をなぞりながら離れていく。
 その時彼がフッと微かに笑顔を見せたのは、無理をしてくれた彼女の気持ちが、純粋に
嬉しかったのだろう。
「……ほんと…?」
「ほんとだ」
 何度目の確認になるのだろう。何度目の切り返しなのだろう。そんなこと、もう分からない。
 
 乾いたはずの、抑え込んだはずの感情がまたしても沸き上がってくる。そして今度は、
こらえることが出来なかった。
「うっ……ひぅぅ…」
「……」
 ああ、イヤだ。結局泣いてしまった。笑った表情の彼は、きゅっと抱き締めてくる。
ぐすぐすと啜ってしまう鼻の音が、余計に恥ずかしかった。

「うっ…うぅ~~~~~」

 幸せなはずなのに、嬉しいはずなのに、どうして涙が出るんだろう。それだけじゃなくて、
どうして声まで漏らしてしまうんだろう。
「俺は……お前を泣かせてばっかりだな」
 そう言うと、彼はまた少しだけ困った表情の顔を近づけてくる。密接した身体を一度
離すのが嫌みたいで、背中をゆっくりと擦られる。
「ごめん…崇兄、ごめんなさい……」
「いいから」
 こんな時に泣いちゃってごめんね、折角なのに悲しんでるみたいでごめんね。情けなくて
恥ずかしくてついつい謝ってしまうけれど、すぐに許されてしまう。
「お前が強くなったってことは……ちゃんと分かってる」
「……ひっく……ひぅ…」
 その言葉に、赤くなってしまった目で、くしゃくしゃになった視界のまま、彼の顔を
見つめ返す。
 
 じゃあ、あたしこのまま泣いてていいの?

 もう、我慢しなくていいの?

 表情だけでそう訴えると、崇兄は微かに歯を零した笑みを浮かべて、首を少しだけ縦に
振ってくれる。
「……っ」
 釣られるように、顔が更に歪んでしまう。
 
 やっとの思いで到達できた、取り戻すことの出来た、五ヶ月前のあの頃の想い。

 やっと手に入れることのできた、そこから先に進む、欲にまみれた純粋な気持ち。

 数日前、彼の浮気現場を目撃してからずっと襲われ続けてきた感情に、紗枝はようやく
解放される。
 
そして、この場で三度目となる感覚を。触れた箇所から頭の芯まで、全てが溶けてしまい
そうな感触を覚えるのだった―――




173:Sunday
07/03/18 02:36:53 ESCYU3ul
|ω・`) ……



   _、_
| ,_ノ` ) 毎回渋茶を出すのもアレだから砂糖を混ぜてみた   



   _、_
| ,_ノ` )b ……味は保障しないぜ  



  サッ
|彡




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