06/11/28 19:01:10 cET1ae+J
>>7
「ただいま~。くそ~! スンボリ・アドルフめ、最後の直線で抜かれやがって~」
緊張感を壊す様に、無精髭のおっさんが入ってきた。
珠美の緊迫した視線が僕らからおっさんへと移る。……あ~、怖かった……。
「……いないと思ったら、また競馬かよ!? クソ親父!」
「おかえりなさ~い! ダ~リン! ねえねぇ~珠美ちゃんったらひどいのよぅ~!」
―親父!? って事はこのおっさんが珠美の父さんで、冴子さんはこのおジンの……?
「おいおい、台所で刃傷沙汰か? な、なんだ!? この血染めのジャガイモはっ!?
あ~あ、珠美ちゃんは冴子に似て、料理が全くだめだなぁ……。さ。どいた、どいた」
おっさんは珠美という少女の脇から水道をひねると、手とジャガイモを洗った。
そしてまな板に突き刺された包丁を引き抜こうとして、『ぬんっ!』と唸る。
包丁は抜けない様だった。……何しろ僕はまな板の”叫び”を聞いちゃったしなぁ。
「お~い! 珠美ちゃん……、まな板は親の仇じゃないんだぞ? パパまだ生きてるし。
って、あれ? そこにいるのはこないだの学園の少年じゃないのか?」
おっさんは、やっと今僕に気づいたようだ。
「ど、ども……」
なんだかよくわからないが、僕はとりあえずおっさんに挨拶してしまう。
「よぉ。早いお目覚めだな。よ~し、待ってろ! 今俺がうまい夕飯作ってやるからな!」
おっさんは驚いた様子もなく珠美にまな板から包丁を抜かせると、慣れた手付きで料理
を始めた。
エプロンに”父入魂!”と書かれているのが、なんだか妙にアンバランスだ。
「よっしゃぁ! お待ち~! 父入魂の手料理だぞ!」
あっという間に料理を仕上げたおっさんは、手際よくテーブルに4人分の盛り付けした。
「きゃぁ~! ダ~リン、素敵ぃ! おいしそう~」
「……遅いって、親父! 育ち盛りの娘を餓死させる気かよ!?」
文句を言いながら珠美は椅子に座る。……やっぱり珠美って子は怖いと僕は思った。
「隆志クン、食事も久しぶりでしょ? さぁ、一緒に食べましょ?」
優しい方の冴子が僕を食卓に誘う。料理の温かい湯気と香りに、僕はまた驚いていた。
触覚と共に嗅覚も感じるなんて! ここは若干小悪魔がいるけど天国じゃないのか?
感動しながら冴子と共に食卓に着いた僕は、瞬時に感動が消え、凍りついた。
冴子と僕の食事には、盛り付けたご飯に箸が突き刺さっていた。
ばぁちゃん達が仏様に御供えする時の、あのやり方だ。
―そうだ。虐められていた頃にも、よくこういう事をされてたっけ……。
僕は生前の忌まわしい記憶が蘇り、一気に気分が悪くなって席を立った。
「ぼ、僕はいらない……! こ、こんな物食べるもんか!」
思わず叫んでしまう。すると、辺りの空気が急に暗く、冷たく感じられて来た。
「あらあら……、嫌な事を思い出しちゃったのかしら? 隆志クン。『負』の”気”が戻
って来ちゃってるわ。珠美ちゃん、何とかしてあげて~」
配膳早々『いただきます』も言わずにご飯をかっ込んでいた珠美が、僕を横目で見る。
こ、怖いけど、こんな少女に負けるもんか!
「んも~! 今時の奴は箸も使えないんでしょ。しょ~がね~な~、あったく!」
面倒そうに茶碗を置き、珠美は僕の分の茶碗から箸を抜き取ると、代わりにフォークを
突き立てた。しかもキャラクター入りの女の子用フォークだ!
「ほら。これなら食べれるでしょ? まさか好き嫌いがど~とか抜かす気じゃないわよね?
手間かけさせるんじゃないわよ! さっさと座る! そして食え!」
だから、僕が言いたいのはそういう意味じゃなくて……!
そう言いたかったのだが、何故か僕は催眠術にかかった様に食卓に座り、震える手が、
意思に反して料理を口へと運ぶ。
嫌だ! こんな風に出されたご飯なんか食べたくない! そう思うのに、僕は食べてし
まう。そして思わず声に出してしまった。