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『北中中・ぺーちゅんちゅん・peichungchung』
時は明代初頭、元が滅び洪武帝による中国統一がなされたころのことである。
このころ絵師の間で大流行していた絵画技法があった。
それは絵の中に(∞)という文様を忍ばせ、
その文様が持つ魔力によって見るものを魅了し絵のとりこにする、というものであった。
この技法は絵画の中に文様を忍ばせることから当初は「中」と呼ばれていたが、
特に華北、華中の絵師が好んで用いたことから「北中中」と呼ばれるようになった。
また、「北中中」によって描かれた絵画自体も「北中中」と呼ばれるようになる。
しかし、この文様が持つ魔力は強力な中毒性をもっていたらしく、
民衆の中には北中中を一日中見つめつづけて日常生活を崩壊させてしまうものが続出した。
この事態を重く見た洪武帝が北中中を禁止する勅令を出したため、
街中には北中中を求める「ペーチュンチュン・・・、ペーチュンチュン・・・」という声が十日以上も続いたという。
民明書房刊 「中国における禁忌・外法 -絵画編-」より