07/08/20 00:44:03 kz6KJrKA0
紆余曲折がありましたが2人は幸せに暮らしました、という話の変形としての
紆余曲折がありまして2人は幸せに「暮らせませんでした」という話じゃないかな。>風木
結局のところ「2人の物語」として収斂されていくわけで、
2人が幸せに「暮らせなかった」だけで、描かれてるものは最後まで「2人の物語」なんだし。
恋愛の不条理や不毛、愛の終焉を描くものとは、やっぱり違う希ガス
恋愛の不条理を描くことは、萌えとは完全に袂を分かつことなので
だから幻想の中心に萌えを置く801とは、むしろ相反する性質のものでは。
内田春菊作品は、基本的には萌えとは別の指向の作品群で
その中で唯一801的だ、と上のほうでも言われてる「南くんの恋人」は
おそらく作者自身が意図的に、萌えを前面に打ち出そうとしたものだ。
801ジャンルの内部でもし恋愛の不条理に正面から向き合おうとする作者がいるなら
その作品は、(恋愛の不条理を描いたものではないが)「残酷な神が支配する」のような
萌えとは無縁の、801とはかなり手触りの違うものになると思う。