07/08/07 19:40:10 523uydi60
>>244や>>245の言ってることもわかるんだけど
>構造的に暴力であることに変わりはないし卑怯なのかもしれないが
私はその「卑怯」に引っかかってしまうんだよ
自覚は無意味でも不要でもない。けど、結局のところ、
それは、他者への暴力を減らすためというより、
暴力をふるう自分を許すための必要、悪くいえば言い訳に聞こえてしまう。
作り手と、フィクションと、受け手の関係で、何がもっとも誠実なのか、
みたいなところで悩んでしまうよ
「不必要なゲイ差別表現はしない」にしても、どこに重きをおくのが正解なのかって。
とりあえず、作り手に差別を助長する意図はないことを前提として考えると、
その表現がもっともいけないのは、それがゲイ差別と思われる表現だってことじゃなく、
不必要な表現だってことだと思うんだよね。
逆にいえば、ゲイ差別、暴力とゲイの人が感じる表現でも、作品にとって必須であるなら
それは必要な表現であり、暴力より優先されてしまう
でもやはり、暴力と感じる人たちに誠実であろうとし、そうならないことを優先すれば、
そこにあるのは「作品がもっとも求めるものではない、必要ではない表現」になり、
やっぱり受け手に不誠実になる
と、考えると、どのみち不誠実が生まれるなら、
自分の思うスタンスをつらぬくしかないように思うんだよね
私は>>251には誠実を感じる
フリーファイトスタイルはスタンスとしてとてもわかりやすい