19/09/02 06:38:29.22 CAP_USER.net
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作家の堺屋太一氏=2018年11月
2月に亡くなられた作家の堺屋太一氏が1997年10月の文芸春秋に「現代官僚『超』無能論」という小論を書かれている。
20年以上前のものであるが、指摘されている点は今に共通する。さすが堺屋太一と思わせる論文なのでご紹介しよう。
堺屋氏によると日本の官僚の無能力さは、(1)予測能力の欠如(この10年官僚の予測は当たったことがない)(2)実務能力の欠如(決められたことを実施する能力、企画能力、コスト引き下げ能力などの欠如)(3)倫理の退廃(省益あって国益無し、拡大あって撤収なし)─の3点に表れているという。
そして日本国民が、官僚が優秀だと信じてきた理由として、(1)「高級官僚は選び抜かれた人だ」(2)「官僚機構は優れた実績を持つ組織だ」─という二つの思い込みを挙げている。
確かに、これまでの行政を振り返っても、氏の主張には、もっともだと思う点が多い。日本の官僚は優秀どころか、自らの失敗にすら責任を感じていないのではないかという気もする。
例えば、国土開発の基本計画である全国総合開発計画は、1962年以来、1997年までに4回作られてきた。
しかし、大変な手間とお金をかけたにもかかわらず、計画策定時になされた予測は大きく外れているし、第1回の拠点開発構想、第2回の大規模プロジェクト構想、第3回の定住圏構想、第4回の交流ネットワーク構想と、すべて失敗してきた。
しかも不思議なことに、その失敗の責任を取った人は誰もいないし、いつの間にか作るのを止めてしまった。
財政問題についても、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化などは何度先延ばしにしたのか、専門家集団である財政当局の責任は重大だ。
さらに、堺屋氏は、倫理の欠如に関連して「省庁再編に当たっても『国益のために我が省庁の縮小を』といった官僚は皆無であった」と述べている。
昔、英国の植民地相は、自分の使命は植民地省を無くすことだと言ったそうだが、そうした思いで仕事をしている公務員はいるのだろうか(葦)【「地方行政」8月26日号より】。
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