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1945(昭和20)年2月8日。艦上攻撃機のパイロットを養成する姫路海軍航空隊として鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)で訓練を受けていた桑原敬一さん(92)=横浜市=らは、休日で外出できるとあって朝からはしゃいでいた。
しかし突然、集合が掛かり、上官から告げられる。「特攻隊を編成することになった」
爆弾を抱えた航空機で敵艦に体当たりをする「特攻」は、44年10月のフィリピン・レイテ沖海戦から始まった。
紙切れと封筒を渡され、希望するかしないか、誰にも相談せずに書いて出せという。
その場は重苦しい雰囲気に包まれた。
当時、18歳だった。岩手県にいる母と姉、4人の妹や弟のことが気になった。
一番下の弟とは12歳離れていた。2カ月ほど前に父が亡くなったばかり。体が弱い母と姉が働き、桑原さんは仕送りを続けていた。
白紙で出そうかとも迷ったが「命令のままに」と書き、封筒に入れて出した。
午後から、海軍飛行予科練習生(予科練)からの同期生で酒でも飲んで気分を変えようと、北条の町(加西市中心部)に繰り出した。
「何て書いた?」。自然とそんな話になる。白紙や「希望しない」という者はいない。
「半殺しに遭うもんな」と語り合った。
「建前社会の軍隊では本音が言えず、事実上の強制だった」
鹿児島県で特攻に出撃する前日の桑原敬一さん(本人提供)
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2018/8/16 08:30