16/09/23 23:00:10.93 GIjvvAs5.net
ご存知の通り、ワイルズが、谷山志村予想のフライ曲線に関する部分を解決して、フェルマーの最終定理を証明したのだった(下記)
URLリンク(ja.wikipedia.org)
(抜粋)
最終的解決
ワイルズは、代数幾何学(特に楕円曲線と群スキーム(英語版))や数論(モジュラー形式やガロア表現、ヘッケ環、岩澤理論)の高度な道具立てを用いて証明を試みたが、類数公式の導出に当り岩澤理論を用いる方向では行き詰まってしまった。
そこでコリヴァギン=フラッハ法(ヴィクター・コリヴァギンとマティアス・フラッハの方法)に基づくよう方針転換し、最後のレビュー段階でプリンストンの同僚ニック・カッツの助けを得るまで、細部に至るまでの証明を完璧な秘密のうちにほぼすべて独力で成し遂げた(ここまでで7年が経過していた)。
彼がケンブリッジ大学で1993年の6月21日から23日にかけて3つの講義からなるコースで証明を発表したとき、聴衆は証明に使われた数々の発想と構成に驚愕した。
ただし、その後の査読において、ワイルズの証明には1箇所致命的な誤りがあることが判明した。この修正は難航したが、ワイルズは彼の教え子リチャード・テイラーの助けを借りつつ、約1年後の1994年9月、障害を回避することに成功した。
ワイルズ自身、その時の瞬間を「研究を始めて以来、最も大事な一瞬」と語っている。1994年10月に新しい証明を発表。1995年のAnnals of Mathematics誌において出版し、その証明は、1995年2月13日に誤りがないことが確認され[5]、360年に渡る歴史に決着を付けた。
なお、証明の過程では、まずはコリヴァギン=フラッハ法を用いたが、それでは不十分だと判明したので、以前に採用してから放棄していた岩澤理論を併用することで、最終的な証明が完成した。
(引用おわり)