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今日の毎日新聞に「TPP参加で立ち遅れている業界の尻を叩け」という論説が掲げてあった。
「TPPの圧力を利用して国内改革を進めよう」としているベトナムやマレーシアに「続け」というのである。
この編集委員は「負ける確率の高いゲームに参加した方が、ゲームに負けない確率は高まる」という
不思議なロジックを駆使していた。
彼がいったいどういう思考訓練の果てに、このような奇怪なロジックを操るようになったのか、
私には想像がつかない。
「溺れないようにするためには、溺れて死ぬほどの目に遭わせるのが捷径である」という人に、
私が訊きたいのは、それで溺れたらどうするのか、という素朴な問いである。
それよりは「溺れそうな場所には近づかない」方が生き延びる確率は高いのではないか。
ベトナムやマレーシアの後塵を拝さないためには、まずベトナムやマレーシアの「後に続くべきだ」
という命題には論理性が欠けているということに、どうしてこの編集委員は気づかずにいられるのだろうか?
もちろんこの「?」は修辞的な疑問符であって、私は理由を知っている。
それは「どんなにボコボコにされても、命までは取られない。
『タンマ』と言えばゲームを中断してもらえる」と彼が思っているからである。
一度きっちり締め上げてやらんと、生ぬるい環境でぬくぬくしている奴らは目を覚まさん、と思っているのである。
「自分が有利に立つためには、わざと不利な条件で戦うとよい」と
いうような言葉がポロリと出るのは典型的な「平和ボケ」の症状である。
「誰も命までは取りゃせんだろ」というこの生ぬるい構えそのものが「ガラパゴス化した日本の症状」なのである。
私の見る限り、「ガラパゴス化」を難じる人々の中には、なぜそう言う夫子ご自身だけは
日本人であるにもかかわらずガラパゴス化を免れているのか、その理由を吟味している人のあることを知らない。
日本はこれでもまだ先進国中では相対的に安定した社会システムを維持できている。
これを「他の国並み」にしようというのが「グローバル化」である。