11/10/20 15:45:16.63 J+mtDyy90
黄錦周(ファン・クムジュ)さんの証言あれこれ
■数えで17歳の時、女中をしていた咸鏡北道ハムン郡の金持ちの家に、
工場供出の員数割り当てがきて、私が工場に行くことになったのです。
(従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一)
■多い日で十五人ぐらい、クリスマスは二十人近かったね。
(元従軍慰安婦 黄錦周の世界2 / 1995.7.25 / 朝日新聞 ※当時日本人にクリスマスの慣習なし)
■17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。
(国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日)
■私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ!
(TBS「ここが変だよ日本人」テレビ番組より)
■満18歳になった時のある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。
(日韓社会科教育交流団韓国を訪問 / 1997夏期)
■村の班長(日本人)に脅かされ、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。
(元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日)
■14歳のとき、「少女供出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。
(黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて)