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○ラジウム入り瓶に「日本夜光」 昭和40年代は簡単に入手可能 世田谷の放射線
なぜ民家の床下にラジウム入りの瓶が置かれていたのか。一部の瓶には「日本夜光」と
書かれたラベルが張られており、夜光塗料用だった可能性が浮上している。
放射性物質に詳しい中部大の武田邦彦教授(資源材料工学)によると、日本夜光という
会社は今は存在しないが、かつては夜光塗料製造の大手企業。ラジウムは時計の文字盤の
ほか、昭和40年代に「非常口」の表示看板などの夜光塗料として使われていたという。
武田教授は「昭和50年ごろまでラジウムなどの放射性物質は薬品会社から他の薬品と
同じように簡単に入手できた。夜光塗料をつくることもでき、看板などを書くために入手して
置きっぱなしになった可能性もある」と指摘する。
ただ、民家所有者の女性は「見覚えがない」と証言。約10年前に亡くなった夫は証券会社に
勤務しており、ラジウムとは無関係の生活を送っていた。
ラジウムは戦前から戦後にかけて、がん治療にも広く使われていた。女性は約20年前に
体調を崩し、夫も晩年は車いす生活を送っていたが、近隣住民は「ラジウムを治療で使う
ような病気ではなかったようだ」と証言している。
首都大学東京の福士政広教授(放射線安全管理学)は「瓶の形状などから、昭和30~
40年代に置かれていたのではないか」と推測。実際、文科省の調査では民家は昭和27~
28年に建築された建売住宅といい、かなり前から床下に置かれていたとみられる。
☆写真:東京都世田谷区の民家の床下から見つかった瓶=13日
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
□ソース:産経新聞
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