11/10/06 22:34:55.65 lm+VLHdpO
>>42
■ナチ党員と、ネトウヨや反韓主義は、「現実に対する絶望の忘却」の一点で同質
共通項は、自分に極端に甘く、他人に極端に厳しいこと。「自分が殴るのはいいが、自分が殴られるのは全力で拒否」という思考。
「自身の成功を目指す事」と「他者の凋落を“積極的に”望む事」は別問題。
好き嫌いは自由だが、「現実の絶望」を否定している限り、人生は上手くいかない。
目の前の現実(の絶望)から逃げると、それが形を変えてどこかのタイミングで襲い掛かる。
その現実を作ったのは、その人の意識でしかない。意識を変えない限り、人は不幸から抜け出せない。
(ドラッカーが著書『マネジメント』で言う所の「一人一人がマネージャー」になっていない)
全体主義を信じてしまう人達(現在のネトウヨや反韓主義者)は、その事を見失っている。
■そして、全体主義を信じた者は、いずれは不幸になることを知っておくことが必要
この言葉を考えたい。
『「もっと自分は幸福になってしかるべき」と思い込む。
だけど、いつまでも幸福にはなれない。
その理由は自分にある。自分を変えない限り、幸福にはなれない。
ところが、それを認めない』
この言葉の意味は、今は、全体主義者(ネトウヨや反韓主義者)には解らないだろう。しかし、痛いほど身に染みた時には、人生自体の絶望の壁にいる。
「常に自分は正しく、相手が悪い」「もっと自分は幸福になってしかるべき」が招く結末。