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李氏朝鮮時代の仏教弾圧
韓国では、骨董屋を覗くと首のない仏像が売られていることが多い。
李朝の斥仏政策のもとで、仏像の首が切り落とされたからである。
それに今日でも韓国では、平地に仏教の寺がない。寺をたずねようとしたら、
山を奥深く分け入ってゆかねばならない。
李朝では代を重ねるごとに、儒教による仏教に対する締めつけが、いっそう強められるようになった。
儒教という怪物が時とともに大きく成長してゆき、儒教唯一絶対主義といわれる体制が固まっていった。
仏教は目の敵とされた。李朝三代目の国王となった太宗(在位1400年~18年)の治世になると、
仏教にさらに苛酷な弾圧が加えられた。高麗朝が倒れたときには、全国に1万以上も寺があったというのに、
寺の数を242にまで減らし、寺が所有していた土地や、奴婢(ノビ)と呼ばれた奴隷を没収した。
その後も、仏教へのパンチが次々と繰り出された。仏教はよろめき続け、ついにマットに沈んだ。
四代目の国王の世宗(在位1418年~50年)は、全宗派を禅教2宗に統合して、
それぞれわずか18寺院だけを残して、他の寺を廃した。
世宗はハングルを創製した名君であったのに、仏教には好意をいだいていなかった。
儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。
仏教の輪廻の教えは、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた
空想の産物であるとみなした。九代目の成宗(在位1469年~94年)は、出家することを全面的に禁じた。
李朝時代は、そのまま仏教を苛めた歴史であるといってよい。
十一代目の中宗(在位1506年~44年)は、全国にわたって仏像を没収して、溶かしたうえで
武器に鋳造した。また僧侶を土木工事に使うようになった。僧侶は使役されるとき以外は、
漢城(ソウル)に出入りを禁じられるようになった。仏教は、山のなかに逃げ込んで細々と命脈を保った。
僧侶は、奴婢と同じ賤民の範疇に組み入れられた。