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イザベラ・バード「朝鮮紀行」の文章でも貼っておくか。
「宗教にはおよそ無関心だったため寺院もないし、いまだに迷信が影響力をふるっているため墓地もない!
清国と同じように孔子廟とその教えを記した碑があるのはべつにして、ソウルには公認の寺院がひとつもなく、
また僧侶が城内にはいれば死刑に処せられかねなかったので、結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある、
堂々とした宗教建築物のあたえる迫力がここにはない。」
「金剛山が朝鮮国内で有名なのは、巡礼する霊場がそこにあるからではなく―朝鮮人の大半は仏教と坊主頭で
托鉢をする僧を忌みきらっている―、その絶景の数々が詩に詠まれてよく知られているからである」
「この深山に隠遁してしまった瀕死の仏教は、鬼神信仰を上塗りされ、清国の仏教と同じようになかば神格化された
おおぜいの聖者の下で窒息しかけている。たとえば門徒のような日本の大きな仏教改革派の特色である、
正義を求める崇高な目的や向上心はなにも見られない。修行僧たちはひどく無学で迷信深い。みずから信仰している
宗教の歴史や教義についてほとんどなにも知らない。経文の意味についてもそれは同じで、彼らの大半にとっては
お経もたんなる「文字」にすぎず、たえず繰り返せば「メリット」のあるものにすぎないのである。」