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>>228
穢族の集団(扶余・高句麗・沃沮・穢貊)
扶余(ふよ、プヨ、부여〔朝:buyeo〕、扶余〔中:fúyú〕)は満洲に存在した民族の一つ。
遅くともB.C. 238年 ~ 494年には同地に同名の国家を形成していた。その版図は、中国三国時代には、
万里の長城より北、南は高句麗(こうくり)に、東は挹婁(ゆうろう)に、西は鮮卑(せんぴ)に接し、
方約二千里(三国時代の一里は、約450m)の範囲に及んでいたという。
夫余、扶餘、夫餘とも表記される(「餘」は「余」の旧字体)。
中国史料によれば、扶余族は、穀物には適しているが果物は余り育たない土地に定住し、
勇敢だが他国への侵略はせず、歌舞飲酒を好み、慎み深く誠実であったと記録されている。
しばしば鮮卑の攻撃を受けて衰亡し、最後はツングース系の勿吉によって滅ぼされた。
(ゆうろう)挹婁-外満州(現在のロシア連邦沿海地方)の松花江流域に居住した。
※前漢から後漢滅亡までの四百年以上も扶余に臣従