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>>1の続き
■代わりの畑を
自分が生きているうちに、大熊町で農業を再開するのは難しいと感じている。
それでも子や孫がいつの日か帰って就農する日を願い、畑の管理は続けるつもりだと言う。
大熊町に近い浜通り地方に果樹畑を取得できないか、模索している。
「今後どうすれば農業が続けられるか。双葉郡の若い農家は、その情報を求めている」と話す。
富岡町本岡のコメ農家猪狩弘道さん(68)は、地元の農家の仲間十数人といわき市四倉の建設現場で汗を流していた。
「考えれば考えるほど悲しくなる。でも仮設住宅でボーッとしているのは嫌だ。働いて自立しないといけない」
水田35ヘクタールと10アールのハウスで営農し、郡内トップクラスの大規模農家だった。
原発事故後、いわき市に避難したが、仲間を集めて4月初めから市内の建設会社で働く。
「弱気では駄目。みんなで稼いで議論して前を向かないと」と語る。
■自主除染計画
町に測ってもらった水田の放射線量は毎時40マイクロシーベルト以上あった。
「容易ではない。10年、20年は帰れないだろう。でも負けていられない」
線量が早く下がってくることを願いつつ、自主的な除染計画を仲間と練っている。
「田んぼにヒマワリや菜種を植える。1年でも早く田植えができるようにしたい。耕し続ければ農地も荒れない」と訴える。
猪狩さんを奮い立たせるのは古里への強い責任感。
「原発事故は人災。ただ双葉郡は相当、原発の恩恵を受けてきた。
当初の耐用年数を超えた原子炉の長期使用にも、黙って反対しないできた。
東京電力や国を責めてばかりはいられない。俺たちがやるんだ」
以上