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関東大震災から88年後の今月1日、横浜市南区の宝生寺に、喪服を着た男女50人が集まった。セミしぐれが響き、むせかえるような残暑の中、
参列者が線香を手向けたのは朝鮮人犠牲者の慰霊碑。地震が発生した午前11時58分をはさみ、佐伯真魚(まお)住職(40)の読経は30分間続いた。
関東大震災の後、日本人によって朝鮮人が虐殺されたことはよく知られている。「朝鮮人が襲ってくる」「井戸に毒を入れた」といった根拠のない流言が飛び交い、
悲劇を拡大させた。横浜も虐殺の現場だった。同寺の法要は、震災の翌1924(大正13)年から毎年開かれている。
当時、在日朝鮮人の同胞団体を主宰していた李誠七氏(故人)が、朝鮮人の供養をしてくれる寺を探したがことごとく断られ、
宝生寺だけが引き受けたという。現在は在日本大韓民国民団(民団)が開催している。南区でも虐殺が記録されているだけに、
佐伯住職は「この地で(法要を)行うことには意味があります」と話す。
横浜市では、当時の小学生が震災の見聞をつづった作文が相次ぎ発見されている。南吉田第二尋常小学校(現南吉田小)の
児童が書いた「震災記念綴方帖(つづりかたちょう)」はその一つで、556人の体験が収められている。
毎日新聞 2011年9月17日 東京朝刊 大正100年:歴史に探る日本の針路 児童がつづった朝鮮人虐殺
◇「デマ」の事実、継承されず
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