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さらに新王朝は前王朝の建物や備品、美術品、墳墓までを徹底的に破壊した。
前王朝を完全に破壊してみせることが新王朝の正当性を示すことになったからである。
そのために四千年だの五千年だのとサバ読んで歴史を誇る割には、
現在の中国には誇るべき歴史的建造物や伝統文化が極めて少ない。
三国時代にシナの人口は10分の1に減り純粋な漢民族は絶滅した。
それ以降の漢民族はその後の五胡十国時代に多数の民族が交じり合った雑種であると言える。
その後も唐成立の前後20年間で3000万人近くが減り人口は3分の1になった。
唐の末期には3500万人以上の人口が減り、南宋が元に代わるときには1500万人、
明が清に変わるときにはなんと5000万人以上が消えている。
明朝末期の易姓革命の時、ならず者あがりの下級軍人・チョウケンシュウは流民を率い、
殺戮と略奪を繰り返して60万人の大群を有する勢力に成長し、四川を占拠。
天命が下ったとして自ら皇帝を名乗り、大西王朝という政権を樹立した。
大西王朝はわずか1年半で滅んだが、その短い間に6百万人以上いた四川の人口が1万8千人程度になってしまった。
その大西王朝を滅ぼした清も皆殺し戦術が常套手段で、100万人都市の揚州や嘉定などで屠城を繰り広げた。
一方、日本史においては大量虐殺という事例はない。
強いてあげれば織田信長の比叡山焼き討ちくらいだが、当時の比叡山は信長に敵対する戦闘集団であり、
シナの虐殺とはかなり事情が違う。