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■市民団体が自伝・日記・証言など堀り起こし 衝撃の目撃証言 都内24カ所分類
1923年9月1日の関東大震災時の同胞虐殺を見聞きした当事者の証言を集めた『東京下町フィールドワーク資料』(A4版79㌻、写真)が
このほど完成した。事件から88年経ち、いまとなっては新たな目撃証言を得るのは難しいだけに、真相に迫る貴重な手がかりになりそうだ。
荒川河川敷で毎年9月、関東大震災時に虐殺された同胞の追悼行事を行っている市民グループが編集した。
出典は同資料を発行した市民団体がこれまで集めた聞き取りや当時の自伝・日記・証言集・新聞掲載記事など。
会の中心メンバー、西崎雅夫さんが都内23区の図書館を中心に3年がかりで関連する記述を掘り起こし、1年かけて出版にこぎつけた。
苦労して掘り起こした証言資料は都区内の虐殺現場24カ所に分類した。
墨田区の「旧四ツ木橋周辺」では荒川放水路開削工事に従事したり、街中の工場で働いていた多数の同胞が犠牲になった。
ここでは40人以上の人たちの痛恨の目撃証言が集められている。
「荒川駅(現八広駅)の南の土手に連れてきた朝鮮人を川のほうに向かせて並べ、兵隊が機関銃で撃ちました。何人殺したでしょう。
ずいぶん殺したですよ」(聞き書きから抜粋)
犠牲になったのは同胞だけではない。「どもりの日本人が間違って殺されました。当時は『十五銭』と言わせていましたが、
つまって言えなかったんです。子どもと女の人が泣いているので聞いてみると、そう言っていました。体に鉄砲の穴があいていました。
自警団がやったものです」(同)
なかには同胞のため、日本人が体を張って命を救ったという目撃談もある。1923年9月2日、墨田区の向島百花園裏で小倉常吉さんは棍棒や竹槍、
日本刀などを手にした殺気だった50人ほどの自警団を前に、「うちにいる朝鮮人はそんな悪いことをする人間では絶対にない。それは私が保証する。
私が責任を持つからお引き取り願いたい」とかばったという(『小倉常吉伝』同刊行会・1977年)(>>2-3へ続く)
(2011.8.31 民団新聞)
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