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(>>1のつづき)
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当時、石川達三や大宅壮一らが16師団歩兵33連隊(津市久居)の従軍作家・記者として
南京事件を見聞きできる立場にあった。だが、いずれも何も書き残さなかった、という。
33連隊を描いて発禁処分となる「生きている兵隊」を書いた石川も、事件は知らなかった、と
口をつぐんだ。
長男の聖紀(71)が「父は、中国では可哀想なことをした、と話すぐらいでした」と思い
起こすように、錦が忌まわしい記憶を家族や詩人仲間に具体的に話すことは少なかった。
それでも、居合わせた者の責任として、文学者の使命として「南京」を題材にした。
尾西は錦研究にあたり、南京攻略戦に参加した33連隊の元兵士らの聞き取り調査を
したことがある。
「経験した人は語らないし、周りも気持ちを察して聞こうとしない。記録がみんな
消されていけば、結局、何もなかったということになり、南京事件を考える機会はなくなる」
それだけに、錦が書き残した作品に大きな意義を見いだしている。(敬称略)
◎南京事件 1937年7月、北京郊外の盧溝橋で始まった日中戦争は華中に拡大。
旧日本軍は一気に戦局を決着させようと同12月、首都南京に侵攻した。陥落後は
子供や女性を含む大勢の一般市民を虐殺し、放火や略奪、強姦(ごうかん)にも
及んだとされる。事件は当時、大虐殺として国際的な非難を浴びたが、国民には
知らされなかった。犠牲者の数は見解が分かれ、今なお論争が続く。 (以上、一部略)