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パパ、ママ…、バイバイ。 横浜市米軍機墜落事件
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厚木基地を離陸した米海兵隊RF-4Bファントムが、エンジン火災を起こし、荏田町の宅地造成地に墜落したのです。
大量のジェット燃料が飛散し、付近の公園と民家を一瞬にして火の海になってしまいました。炎上する家の中から、火がついた衣服をまとって助けを求める女の人。血ダルマの幼子を抱きかかえ飛び出す母親の姿がありました。
その時救出活動に参加した人は「顔は火ぶくれでふだんの2倍ぐらいにはれあがり、髪は焼けちぢれ上着はボロボロ、わずかに下着がついている程度でした」と語っています。
事件と同時に米軍から連絡を受けた自衛隊は救難ヘリコプターを緊急発進させ、10分後には現地の上空に到着しました。
しかし、救難ヘリは救助を求めている被災者を助ける事なく、パラシュートで脱出した米軍パイロットを乗せて厚木基地に帰り、再び戻って来ることはしませんでした。
青葉台病院に収容された林裕一郎君(昭和49年8月24日生まれ・当時3歳)と、弟の康弘ちやん(昭和51年3月28日生まれ・当時1歳)は、全身包帯でぐるぐる巻きにされ
「水をちょうだい、ジュースジュース‥‥」と叫びましたが、容体が悪化するので飲ませてもらえませんでした。
午後10時過ぎに、裕一郎君は「痛いよう‥‥」「みずをちょぅだい‥」の声の合い間に黒いどろどろした物を吐くようになり、急速に弱々しくなっていきました。
「おばあちゃん、パパ ママ バイバイ‥」の声を残して裕一郎君が息を引き取ったのは、午前零時50分のことでした。弟の康弘ちゃんも嘔吐が始まり、父親の必死の励ましの中「ポッポッポ」と鳩ポッポの歌をかすかにうたいながら、未明の4時30分幼い生命を閉じたのです。
母親の和枝さん(当時26歳)も、全身8割にも及ぶやけどで病院に運ばれました。一方月以上も絶対安静の危篤状態が続きました。