11/08/08 18:15:45.95 yDM+kOiw0
>>668
中国(ちゅうごく)という語は、中国の古典である『詩経』で「地理的中心部」と言う意味で初めて用いられた。
従って本来は特定の民族ないしは国家を指す語ではない。
ベトナムでは阮朝が自国を中国(チュンコック)と呼び、日本でも自国に対して
葦原中国(あしはらのなかつくに)あるいは中国(なかつくに)という美称を用いている。
一方、黄河流域で黄河文明を営んでいた漢民族の間では、「中国」という語は、
孔子とその他思想家たちによる潤色を経ながら、中華思想に基づく「文化的優越性を持った世界の中心」
という意味を帯び、中国歴代王朝の政治的・軍事的な境界を設定する中で、
徐々に民族のアイデンティティを境界づける自称として拡張されていった。
「中原」とは、黄河文明の発祥地である黄河中下流域に広がる平原のことである。
清代後半になると、近代化を果たした欧米諸国の圧倒的国力が中国周辺にも波及し、
中国は諸外国と対等な国際社会の一員として自己を再定義する必要に迫られた。
「中国」という用語の近代的な主権国家の概念での使用は、
1842年阿片戦争の敗北で中国清朝がイギリスと結んだ南京条約で、
漢文の「中国」が使われた事例が最初であると知られている。
1869年に調印されたネルチンスク条約では、清朝の外交使臣が自らの身分を称する時に、
「中国」という用語を満州語で使った。
20世紀初期に、梁啓超が、自国の名前をどうするか悩み、「中華」、「支那」、「中国」の中から、「中国」を選んだ
とあるな。勉強になった。