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近衛上奏文 近衛文麿、共産主義者、革新官僚・革新軍人らの敗戦革命
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近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、
近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺
憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の世論は天皇制廃止
にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗
戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した。「大東亜戦争」(太平
洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること、一味の目的は
共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援してい
ること、「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であること[、米英撃滅の論が出
てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを考えるものもで
てきていること、近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとし
ている旨を述べた。
近衛文麿は共産主義者だった
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近衛文麿(1891-1945)は第34,38,39代内閣総理大臣。
大東亜戦争への突入の最も重要な時期の総理の一人。
マルクス経済学、社会主義に傾倒し、周囲のブレーン・トラストにはゾルゲ・グループの一人、
尾崎秀実を始め、昭和研究会、朝飯会、企画-院グループなど、社会主義者、共産主義者が
群れ集っていた。
戦前の日本は、実は密かに共産主義に乗っ取られていたのである。
これが日本の悲劇の根源だった。