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★広岡 知男(ひろおか ともお、1907年8月24日 - 2002年1月5日)朝日新聞社長、同社会長。
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1963年12月に表面化した朝日新聞社の内紛「村山事件」で1964年1月に創業家の村山長挙社長が辞任すると
代表取締役専務に就任、労組幹部時代の相棒である森恭三論説主幹らと組んで朝日新聞社の実権を握った。
朝日新聞社の経営中枢から創業家で四割以上の株式を保有する大株主の村山社主家を排除する事で
親中国共産党路線を実現推進した張本人である。社長時代に2度も訪中し文革支持の紙面を掲載し続けた。
しかし、会長時代には、折からの中ソ対立が社内にも波及し、社内の親ソ連派と対立。「反広岡」で
手を組んだ村山社主家と渡辺誠毅社長、秦正流専務取締役ら親ソ連派幹部らによって失脚させられた。