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東日本大震災関連でお涙頂戴記事を繰り返していたのはどのメディアも同じだが、
“天下の朝日”は一味違っていた。記事からにじみ出る傲岸さと、想像力の欠如。
朝日新聞の「がんばろう」が、被災者の胸にむなしく響く。文筆家・今井照容氏が
指摘する。
* * *
朝日新聞は市井の人々の生活感情を土足で踏みにじることも厭わない。東日本大
震災に際し、社名入りの腕章を巻いた記者が恥も外聞もなく被災地を闊歩していた。
いったい腕章を巻いていることにどんな意味があるというのか。
私が被災地入りした4月に小名浜港で知り合った被災者のひとりがつぶやいた。
漁業関係者だという。
「あいつら避難所に毎日、クルマで乗りつけて来るんだけど、避難所の手前でクルマを
降りるといった配慮がねぇんだよ。社名の入った腕章をつけているから新聞社の人間だ
ということはすぐにわかる。オレはお前らとは違うんだぞ、偉いんだぞと言わんばかりに
歩いている」
要するに被災地を腕章が胸を張って歩いているのだ。あの腕章は朝日新聞が被災者の
痛みに対する想像力を欠いた象徴に他なるまい。腕章を巻いている限り、被災地を
俯いて歩かざるを得ない者の生活に寄り添えるはずもなかろう。これが東京にいて
被災地を妄想する「デスクワークの英雄」になるともっと悲惨である。
4月25日の天声人語は被災者が体育館でカップ麺をすする姿に「高級割烹を営む」
料理人の「体育館で吸い物を飲んでもうまくない」という言葉を思ったと書いている。
(>>2-10につづく)
▼NEWSポストセブン [2011.07.28 07:00]
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