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◇関心低く存続に不安
東日本大震災の被災地にある朝鮮学校の様子は、4カ月を過ぎても日本のメディアでほとんど伝えられていない。
今月9日、詩と音楽による「復興支援コンサート」を開くため大阪や京都などから東北朝鮮初中級学校(仙台市太白区)を訪れる人々に同行し、
学校と生徒の様子を取材した。
■「一杯のクッパッ」
JR仙台駅から西南に車で約30分。緑に囲まれた約10万平方メートルの敷地には古い校舎や寄宿舎などが点在する。
現在は初級部12人と中級部13人が日々学んでいる。
9日昼、激励コンサートの14人とともに学校に着いた。メンバーは日本人や在日コリアンの混成。私が日本人だとわかると、
朝鮮語でわいわいと雑談していた女子生徒たちは「こんにちは」と大きな声の日本語で迎えてくれた。
コンサート会場は損傷をまぬがれた食堂。全国の朝鮮学校や韓国の子どもたちから贈られた寄せ書きがあちこちに張られている。
尹鐘哲(ユンジョンチョル)校長(50)は「震災から3カ月間、ここが物資供給や炊き出しの拠点でした」と振り返った。
初級部1年生になったばかりの2人による朝鮮語の歌「1年生になったよ」で幕が開き、会場は一挙に明るい雰囲気に包まれた。
保護者や卒業生たちが目元をハンカチで押さえる場面もあった。
大阪市在住の詩人で在日本朝鮮文学芸術家同盟顧問の許玉汝(ホオンニョ)さん(62)が自作の詩「一杯のクッパッ」を朗読した時だ。
愛しい 卒業生達よ とびきりの御馳走では ないけれど
一杯のクッパッに 込められた想いを 忘れることなく 胸に刻んでおくれ(冒頭のみ抜粋)
震災が起きた時は授業中だった。校舎3階の教室でコンピューターの授業を受けていた中級部3年の金怜華(キムリョンファ)さん(14)は
「歩けないほど揺れて怖かった。校舎が古くて危ないので先生と一緒に逃げた」。
寒がる小さな子どもたちに、中級部の生徒たちが自分の上着を脱いでかけた。(>>2-6へ続く)
毎日新聞 2011年7月27日 大阪朝刊
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