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菅首相“豹変”の陰に「ある人物」の存在
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ところが、追い込まれた形となった菅首相は、奇跡の延命打開策を見つけていたのだ。
それは、6月15日、ソフトバンクの孫正義社長からもたらされていた「エネルギーシフト
構想」である。
すでに5月、首相官邸で会談していた二人は、この日の勉強会の席上で改めて固い握手を
交わすことで、「脱原発」で共闘することを確認したのだった。
6月28日には、菅首相はさらに態度を明らかにさせ、「次期総選挙ではエネルギー政策が
最大の争点」とアジェンダセッティングまでしてみせる。
そして、7月になると、さらに菅首相は「脱原発」の方針を旗幟鮮明にし、九州電力の
玄海原発のやらせメール問題発覚を機に、ストレステストの実施を発表し、原発政策に
ブレーキをかけた。
さらにそれに呼応するように、孫社長が自然エネルギー協議会の総会を開き、全国35の
道府県が参加し、脱原発の動きを決定付けた。
そして、側近の多くも反対する中、菅首相は記者会見を開き、脱原発を正式に表明した
のだった。
きっかけは孫正義氏の一連の動きになる。本コラムでは何度も書いたとおり、脱原発は
窮地の菅首相にとって「蜘蛛の糸」であった。その糸をたらしたのが孫社長である。
4月22日、自由報道協会でエネルギーシフトの可能性について記者会見した孫氏の構想の
内容がそのまま、菅首相の「脱原発」政策の骨子になっている。