11/07/18 23:16:21.61 fl89VFfb0
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スポーツ界の主張ってダブルスタンダードなんですよね
国から公共の金を出させる局面では
「競技に専念することが競技のために必要。働いたり他のことをしながらでは結果は出ない。」
「スポーツは公共のものなので税金を出してくれ」
1 「競技に専念するため働く時間はないこと」の強調
2 税金投入正当化のため「スポーツの公共性」場合によっては、スポーツに公共の金を投入することを正当化するため「教育的見地」も強調
いざ金を出させて自分たちの生活や環境を「公共」の金を使って確保した後は
「競技に専念しないで遊びやそれ以外のことも謳歌することが大事」
「スポーツは自分(個人)のためのもの。」
「自分が楽しむことが大事」
「スポーツは遊び、個人の飲み会や旅行などと一緒。」
(個人の飲み会や旅行と同じならそのようなものになぜ公共財が使われなければならないのか全くわかりませんが。)
挙げ句に、自分たちの活動が社会的にペイするだけのニーズがなく、自由な経済活動では金が集まらず,他人の税金をもらわないと成り立たないにもかかわらず、
その税金を払うために働いている「国民」の生活やありようを上から目線で批判
論理的な一貫性がなく、その都度,自分たちに都合よいフレーズ(「公共」・「個人のためのもの」、「教育」・「教育ではなく遊び」、
「競技に専念」・「競技以外のことを」といった矛盾するフレーズ)を使い分けをしている。
しかもそのご都合主義に気づいていない。
親父のすねをかじりながら、上から目線で親父の仕事や人生を批判している子供みたい(親父に金を出させて生活を確保した後は、やりたい放題、言いたい放題。)。
他の職業の人や他人がどういう状況で生活し金を稼いで税金を納めているか見えていないし(T字型では全くない。),
自分たちの主張の整合性が見えていないし全体像の俯瞰ができていない。
そりゃ、そっぽ向かれますね。