11/07/17 08:48:04.73 7zrQ1HXDP
>>303続き
マスコミが我々をコントロールする場合、当然の事ながらそれは
「報道する」という手段によってなされる。
そこには様々なテクニックがあるのだろう。過激な表現をして煽ったり、
中には事実をねじ曲げて報道する局があるという。
こんなのはテクニックもへったくれも無い事なのだが、
忘れてはならないのが「報道する」という事以外に
「報道しない」という不作為手段によって
我々の思考や判断に影響を与えようとする場合もあるという事。
この不作為の「報道しない」という事について、「死刑制度」を例にとって考えてみたい。
さて、マスコミが死刑制度を止めさせたいとしたらどのような事をするだろうか?
まずは「報道する」についてだが、
死刑囚の死の恐怖を我々と共有させようとするだろう。
我々だって死ぬのは怖い。刑の執行日まで刻一刻と迫る死刑囚の恐怖、絶望を
我々に知らしめ、共に感じてもらう。
そしてそれに重ねるように死刑囚の深い悔恨の念を、手記や死刑囚と交流のある者の口から
語ってもらう。