11/07/13 16:58:40.72 QUIKC/iL0
1917年ロシアの共産革命によって政権を掌握した共産党・革命政府の施策は多くの抵抗に遭遇した。
ソ連政府はその原因を家族にあると考え、革命を成功させる為、「家族の絆を弱める」こととした。
これにより、「重婚」が合法化され、家族の結びつきは1930年頃には革命前よりは著しく弱まった。
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しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。
1934年頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。すなわち・・・
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①堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、“出生率が急減”した。
それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
②家族、親子関係が弱まった結果、“少年非行が急増”した。
1935年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。
彼らは勤労者の住居に侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。
汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、終わるまで乗客を降ろさなかった。
学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、先生は殴られ、女性たちは襲われた。
③性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、
弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、
何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。
こうして、1934年には、国家はこのような混乱の対策に精力を消耗することに耐えられなくなった。
それは戦争に直面している国の「国力を破壊するもの」であった。これを是正するためには、
社会の柱(pillar of society)である“家族を再強化”する以外に方法はなかった。
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※ニコラス・S・ティマシエフ(Timasheff) 論文『ロシアにおける家族廃止の試み』
(N.W.Bell"A Modern Instrucion to the Family"1960 N.Y.Free Prees所収)による。
URLリンク(www.oct.zaq.ne.jp)