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先月30日、鳥取市の鳥取砂丘で砂の中から風化の進んだ4体分とみられる人骨が発見された。「なぜ」「いつ」―。
”砂丘ミステリー”にさまざまな臆測が広がり、人骨の年代など詳細な鑑定が待たれる。同市国府町糸谷の森医院の
森納理事長(82)は、自らが編さんした書籍を手に「人骨は、明治時代のコレラ患者が埋葬されたものでは」と
独自に推測している。
森理事長は大正以前の疾病に関する統計記録がないことから、当時の新聞やさまざまな書籍をひもとき、『鳥取県の
疾病史覚書―明治・大正時代―』を編さんし、2000年10月に発行している。
日本にコレラが初めて発生したのは江戸時代末期。明治時代に流行は激烈を極め、特に1879(明治12)年と
86(同19)年には、全国で死者が10万人以上にも達した。
島根県(当事の鳥取県)でも79年の感染は猛威を振るい、森理事長によると「伝染病のため市街地に遺体を埋葬
できず、またあまりの数に埋葬地が問題になった。(遺体を)袋川に流すという案もあったが、生活用水のため、
砂丘が埋葬地の一つに選ばれた」と話す。
同年のコレラの流行は鳥取市で激しく、島根県発行の資料に「約160日間に約3300人が感染し、約2150人
が亡くなった」といった内容の記述があり、死体の多さに棺も間に合わず、「わらむしろ」に包んで埋葬したという。
95(同28)年当時の新聞には「山陰に当時、火葬の風習があまりなく、隔離にもなじめなかった。医師が説得に
当たっていた」との記述があり、感染した家族を隠し、密葬もされていたという。
「報道で知ってもしやと思った」と森理事長。「どのような鑑定が発表されるのか興味深いが、コレラの流行は
因伯の病院設立運動や鳥取県の再置運動に発展した」と話していた。
ソース
日本海新聞 URLリンク(www.nnn.co.jp)
元ニューススレ
【社会】 砂の中に4人分の人骨…鳥取砂丘ちかく
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