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「私はお墓にひなんします ごめんなさい」。福島県南相馬市の
緊急時避難準備区域に住む93歳の女性が6月下旬、こう書き残し、自宅で
自ら命を絶った。東京電力福島第1原発事故のために一時は家族や故郷と
離れて暮らすことになり、原発事故の収束を悲観したすえのことだった。
遺書には「老人は(避難の)あしでまといになる」ともあった。
女性は同市原町区の静かな水田地帯で代々続く田畑を守り、震災時は
長男(72)と妻(71)、孫2人の5人で暮らしていた。長男によると、
以前から足が弱って手押し車を押していたが、家事は何でもこなし、日記もつけていた。
第1原発の2度の爆発後、近隣住民は次々と避難を始めた。一家も3月17日、
原発から約22キロの自宅を離れ、相馬市の次女の嫁ぎ先へ身を寄せた。翌日、
さらに遠くへ逃げるよう南相馬市が大型バスを用意し、長男夫婦と孫は
群馬県片品村の民宿へ。長距離の移動や避難生活を考え、長男は「ばあちゃんは
無理だ」と思った。女性だけが次女の嫁ぎ先に残ることになった。
4月後半、女性は体調を崩して2週間入院。退院後も「家に帰りたい」と繰り返し、
5月3日、南相馬の自宅に戻った。群馬に避難している長男にたびたび電話しては
「早く帰ってこお(来い)」と寂しさを訴えていたという。
長男たちが自宅に戻ったのは6月6日。到着は深夜だったが、起きていて
玄関先でうれしそうに出迎えた。だが緊急時避難準備区域は、原発事故が再び
深刻化すればすぐ逃げなければならない。長男夫婦が「また避難するかもしれない。
今度は一緒に行こう」と言うと、女性は言葉少なだった。「今振り返れば、
思い詰めていたのかもしれない」と長男は話す。
(続く)
ソース:URLリンク(mainichi.jp)
※遺書全文はリンク先にて
※前(★1:07/09(土) 07:50:43):スレリンク(newsplus板)