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>>49
二、終戦後、在日朝鮮人の約七五%が朝鮮に引き揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。
①まず一九四五年八月から一九四六年三月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によって、約九○万人、
個別引き揚げで約五○万人合計約一四○万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたっては、復員軍人、軍属および動員労務者等は
特に優先的便宜が与えられた。
②ついで日本政府は連合国軍最高司令官の指令に基づき一九四六年三月には残留朝鮮人全員約六五万人について帰還希望者の
有無を調査し、その結果、帰還希望者は約五○万人ということであったが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約一六%、約八万人に
すぎず、残余のものは自から日本に残る途を選んだ。
③なお、一九四六年三月の米ソ協定に基づき、一九四七年三月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約一万人が
申し込んだが、実際に北鮮に帰還したものは三五○人にすぎなかった。
④朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかったが、休戦成立後南鮮には常時船便があるようになったので、
一九五八年末までに数千人が南鮮に引揚げた。北鮮へは直接の船便は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、
船便を見つけて、北鮮に引揚げたのではないかと思われる。
こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残ったものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であった。
戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残ったものは極めて少数である。