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【USA】 米軍が原爆投下の1年前に作製した長崎空爆用の市街模型も 米国立公文書館の新資料を公開  - 暇つぶし2ch1:うしうしタイフーンφ ★
11/06/30 10:22:30.66 0

★長崎空爆用の市街模型も 米国立公文書館の新資料を公開

写真 米軍が原爆投下の1年前に作製した長崎港周辺の立体模型の写真
URLリンク(www.nagasaki-np.co.jp)

 長崎大教育学部の全炳徳(チョンビョンドク)教授と長崎平和推進協会写真資料調査部会は29日、
米軍が長崎原爆投下の1年前に作製した長崎港周辺の立体模型の写真や原爆投下後の浦上の
バラックと住民の写真など、米国立公文書館で発見した貴重な資料を報道陣に公開した。

 全教授と同部会の松田斉さんは2月、同館で未発表写真など約3千枚を複写していた。

 立体模型は1944年8月、長崎市街地初空襲に向かう米軍搭乗員の打ち合わせで使われたとみられる。
この写真は長崎初空襲の報告書に添付されていた。松田さんによると、模型の直径は約1・5メートル。
長崎市中心部の港湾や市街地、山間部の地形を詳細に再現。賑橋や三菱重工長崎造船所、県庁も作り込まれている。
小倉など他都市の模型の写真は見つかっていたが、長崎の模型の存在が確認されたのは初めて。
松田さんは「原爆投下で使用されたか否かは不明。
米軍の目的は市街地爆撃による都市機能の破壊だったことがあらためて推測できる」と語った。

 このほか、全教授らは、米軍偵察機が45年3月~8月10日、九州各都市を下見した飛行ルートを
複数の航空写真をたどって初めて解明。原爆投下2日前(8月7日)の偵察機は山口県宇部から
第1目標の小倉、唐津、佐世保を経て、長崎に進入するルートを飛行していたことが判明した。

 原爆で倒壊した旧浦上天主堂の近くに戦後初めて建てられたとみられるバラックの前で、立ち話をする男女6人の写真も初めて確認。
また、原爆投下前の長崎を撮影した複数の航空写真からは、強制疎開前後の市街地の変化が分かる。

長崎新聞 URLリンク(www.nagasaki-np.co.jp)


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