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>>1の続き
母のハルさんは、腎臓病や認知症を患い、自宅で療養していた。事故後の混乱で通院できなくなり、
4月4日、90歳で息を引き取った。3週間後の4月22日、全村避難が決まり、
村全域でコメの作付けができなくなった。「何とかコメ作りを続けられないのか」と
村などに掛け合っていたとき、農研機構から栽培試験の協力依頼が来た。
今月13日、高野さんの水田で放射性物質が堆積した表土を削り取る作業が行われた。
土壌1キロ・グラム当たり1万ベクレルあった放射性セシウムは、作付け制限基準以下の
2600ベクレルまで下がった。栽培実験が成功すれば、また、飯舘でコメ作りが出来るかもしれないと思う。
来月から妻(49)と息子の3人で福島市に移り、避難生活を始める。秋には農業機械の購入代など
600万円の借金の返済が再開する。「どうしたらいいか分からないが、どんなときでも前を向いていたい」。
栽培実験を成功させ、飯舘の農業再開に望みをつなぐのが自分の役目だと考えている。
(2011年6月25日 読売新聞)
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