11/06/24 21:40:54.30 Jhrnveyn0
和夫の家族は,ふだん,このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが
育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。
彼がわが子のように育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青年たちが,斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。
そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。
和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。
A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。
和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放された
ことは,私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰かけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼ
えはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた結果は,つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。
A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれたちはどうやって食っていくんだ?)
B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。
間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に,数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。このとき,和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。
それまで黙っていたCは,和夫の妻を見て,彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。
そしてなんと13人がかりで,ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を,強姦しはじめた。(金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに入ったら,自分も殺された
だろうと言った)。強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。