11/06/21 23:23:34.98 0
>>1の続き
反対派に一貫しているのは「電気を大量消費する都会になぜ原発を建てないか」という疑問だ。
京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)の小出裕章助教(61)や
今中哲二助教(60)ら研究者たちもこの疑問を共有し、反対運動を支えた。
小出さんは原子力が未来のエネルギーになると信じ、東北大学に進学した。
だが、宮城県・女川原発建設に反対する運動に直面し、反原発に転じる。
「原発は都会で引き受けられない危険なもので、送電線を敷くコストをかけても過疎地に建てる。
それに気付いたら選択肢は一つ。そんなものは許せない」と思った。
今中さんも原子力の未来を信じて東工大大学院に進んだが、新潟県柏崎刈羽原発の反対運動に参加した。
「絶対安全で地元も潤う」という電力会社の理屈にうさん臭さを感じた。
79年には米スリーマイル島原発事故が起き、安全性への懐疑は確信に変わった。
2人は愛媛県・伊方原発の設置許可取り消し訴訟の原告弁護団に証人として協力し、
研究者の立場から反原発を支持した。和歌山にも何度もビラ配りに訪れた。
小出さんの論は明快だ。機械は時々壊れ、人は時々誤りを犯す。人の動かす原発が壊れるのは当然。
原発は壊れると破局をもたらす--福島の事故は小出さんにとって想定内だった。
しかし、世論は安全神話に支配され、「私のような意見はすべて無視され続けた」という。
今は原発を止められなかった自分を責めている。だが、小出さんは国民の「だまされた責任」もあると言う。
>>3へ続く