11/06/18 12:13:02.47 0
★【日米激戦の地・硫黄島】孤立無援、忘れてはならない日本兵の戦い
米軍の陸上離着陸訓練取材のため今月7日、硫黄島(東京都)を訪れた際、現地に
駐屯している自衛隊の好意で先の大戦の際、日米激戦の地となった島内をまわった。島
には今もなお日本兵がこもった地下壕が残っている。壕の中に入ると孤立無援のなか、
一日でも長く硫黄島を守ることで、本土決戦を遅らせようと戦った日本兵らの苦労がし
のばれた。
◇司令部壕
島の北部にある陸軍小笠原兵団司令部壕。栗林忠道・陸軍大将が指揮をとった場所
だ。入り口には観音像が置かれている。
階段を下りると、壕の中は天井も低く、幅も狭い。クリント・イーストウッド監督の
映画「硫黄島からの手紙」に出てくる壕は大きな洞窟のようだったが、通路は人ひとり
がやっと通れるくらいの幅だった。
手に持った懐中灯を頼りに暗い通路を頭を屈めながら前に進む。壕中は地熱による蒸
気で暑く、40度ぐらいあった。奥の方はまったく見えない。迷路のようになってお
り、案内してくれた自衛隊の方からは「絶対に離れないください」と言われた。
日本兵は地熱と硫黄ガスに悩まされながら地下壕を掘り、さらにこの中に立てこもっ
て、圧倒的な兵力差の米軍を相手に戦った。
続いて見学した海軍医務科壕も壕に入るとすぐ右に弔い用の観音様がある。左の通路
脇には、遺品とみられる飯盒などが置いてあった。ここは司令部壕よりも広かったが、
内部の温度はより高く感じた。
(続く)
■ソース(産経新聞)(有元隆志、写真=古厩正樹)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
※写真 硫黄島戦没者の碑から摺鉢山が見える
URLリンク(sankei.jp.msn.com)