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ある大学で文章実習を教えるようになって4年目。先日、文章の課題に
「震災報道を考える」を出題した。学生たちが書いた文章は…。予想通り、
東日本大震災の中でも、特に福島第1原発事故についてのマスメディア報道を
厳しく批判する内容がほとんどだった。
特に気になったのは「マスメディアは政府や東電と手を結んで情報を操作
しているのではないか」と書いた学生が何人かいたことだ。事故の「レベル7」評価や
「メルトダウン」の認定の遅れなど、数え切れないほどの問題点を考えれば、
そうした疑いを持つようになってもおかしくないのかもしれない。私は授業で
「マスメディアの報道にも誤りはある。しかし、つかんだ情報を隠したり、
誤った情報を流したりすることはあり得ない」と言ったが、学生たちの多くは
半信半疑の表情だった。
「とうとう事態はここまできたか」と私は感じた。数年前、運営していたブログで
「マスメディアは市民の味方か?」と問い掛けたことがある。「そうでないことは自明の理」
「何様のつもりだ」…。さんざんなコメントを浴びせられ、私は“サンドバッグ”の
ようになった。その時点で既にその問いは、現実と懸け離れたものになっていたのかもしれない。
一方ではっきりしていることがある。SNSなど、ネットのコミュニケーションが
圧倒的な広がりをみせ、今回の震災でも「ツイッターで友達の無事を知った」という
学生が多かった。しかし、彼らにしても、本筋のニュースを筆頭に、本当に確実な情報は
マスメディアに頼るしかない。それが現実だ。だから、学生たちも、批判の文章の最後に
「こうあってほしい」とマスメディアへのかすかな期待を書く。
そうした声を受け止めて「市民の味方」の道を行くことができるのか。本当の正念場に
きていると思う。
(2011年6月14日 47NEWS編集部 OB)
URLリンク(www.47news.jp)