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私はセントルイスより来ていたアメリカ人女性と結婚した。
私は二十四歳、彼女は十九歳だった。
生計を立てるため、マツダ自動車の販売員になった。
マツダ自動車はこの頃ロータリーエンジン車をアメリカで販売しようと
この中西部にも販売店を増やしていた。
だが、ミズーリの田舎で画期的なロータリーエンジン車を
一般大衆車として売るのは並大抵のことではなく、
好奇心にかられて試乗にくる人は少なくなかったが、いざ買うとなると皆躊躇した。
開店から半年後、六人のセールスマンの努力でやっとぼつぼつ売れ出した。
買手はほとんど八気筒の大型車を下取りさせて、燃費節約の観点より小型車に買い替える人だった。
当初はマツダのロータリーパワーと性能に客は皆満足していたが、
化けの皮が剥がれるに至って苦情の電話が殺到した。
燃費が以前に乗っていた八気筒の大型車と変わらないというのだ。
小型車は燃費が安いからという理由で、あえて楽な大型車より買い替えたのに、
これじゃまるで詐欺だ。
俺の車を返してくれと抗議される、のっぴきならぬ事態になった。
それに輪をかけるようにエンジン内部のロータリーのシールが
高速回転による摩擦で欠けてエンジンオイルが漏れるという致命傷が続出した。
ロータリーエンジンの修理工は特別の技術を要するので
ミズーリ州全体でも十人くらいしかいない。
当然の結果としてマツダ販売店は倒産した。
スプリングフィールドの町だけでも私からマツダを買った人が二十人以上もいた。
皆日本人の私の言うことを信用して買ってくれた人ばかり、
私は肩身が狭く穴があったら入りたかった。