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◎午後2時46分/徒歩や車で住民続々/ここは安全のはず
3月11日午後2時46分。放課後の野蒜小には5、6年生約60人が残っていた。激しい揺れで電気が消えた。揺れが続く。子どもたちはおびえきっていた。
直後から野蒜小には、子どもの安否を気遣う家族や近隣住民、高齢者施設の職員に付き添われたお年寄りらが、徒歩や車で続々集まってきた。
多くの人が体育館に誘導され、校庭や近くの亀岡公民館にとどまる人もいた。
住民たちの動きは素早かった。教職員と協力して避難車両を誘導し、校庭の一角に仮設トイレを組み立てようとする人もいた。亀岡公民館では、女性たちが中心になって炊き出しの準備を始めていた。
「すごい揺れだったなあ」「家の片付け、どうする?」。校庭ではそんな会話が交わされていた。
地元の消防団員斉藤剣一さん(53)は、野蒜小から離れた場所で大津波警報の発令を知らせる防災無線を聞き、車で野蒜小へ向かった。「野蒜小まで津波が来るとは考えていなかった」
野蒜小周辺は1960年のチリ地震津波でも被害がなかった。東松島市が2008年に東北大の監修で作った津波防災マップの浸水想定区域にも入っていない。
「津波が来ると分かっていれば、みんな逃げた。多くの人が『ここは安全』と思っていたはずだ」と斉藤さんは言う