11/05/27 17:03:02.81 HVh3j280O
つづき
(関白)の新しい建物と城は、ひどく揺れはしたが倒壊するには至らなかった。
(関白)は、大地の振動が四日も継続し、(人々の)恐怖と驚愕が鎮まらぬ間、奥方および自分の婦人たちを伴って館を出、御殿の中の黄金の屏風で囲まれた、ある地所に身を置いた。
その大坂では、関白の弟の美濃殿(秀長)の館が倒壊したが、その館はすこぶる頑丈、宏壮、かつ美しいものであったから、倒壊するなどとはとても考えられないことであった。
この(地震)が続いた間、(および)その後の数日間はこの話で持ちきりで、異教徒たちは、日々目撃することや、遠隔の地の(惨状)を耳にするたびに、言いようもない恐怖に打ちのめされた。
だがその後、ごくわずかの月日を経てからは、まるで何事も生じなかったかのように、(地震)について話したり思い出したりする者はいなくなった。
以下略