11/05/13 19:42:41.98 mEg4vFkIO
>>170
◆「(歌の中には)政(まつり)のたすけとなる歌もあるべし 身のいましめとなる歌もあるべし また国家の害ともなるべし 身のわざわいともなるべし」
by 本居宣長(もとおり のぶなが)(1730~1801)「あしわけをぶね」より
→文化論として、『そういうものがあっても、人間の真実が描かれているものは、芸術であり文化である』と、歴史上の偉人、本居宣長は言っている。
無邪気に偽善を振りかざす。もはや、お前らの存在は罪だ、規制派。《無謀な望み》を求める者は、風車に挑む愚かな騎士。たとえそうでも、規制派は突き進んでくる。《無垢なる望み》、その代償は文化や国家の破壊か。
★《地獄への道は、善意で敷き詰められている》
過激で見栄えのよいもの・絵になる話は、本質を表さない。
見せかけの安定に酔いしれ、良かれと思った制度・規制で、大多数の人の不幸を招くことになる。
大衆は『《見せかけの安定》=大衆は、正義を追求し、神の裁きを気取って、悪者を倒して、大満足 という甘美な夢』を追い求める。
情緒論で正義を振りかざし、悪を創り出して倒す。『これは気持ち良く癖になる脳内麻薬。大衆を騙しやすい。』
■『過剰な道徳観の運用(とそれにともなう規制)は、小さな正義は守るが、大きな正義を失わせ、文化を経済社会を国家を滅ぼす。』
「自らの価値観に基づく正義のためなら、何をやっても良い。全て正義だからこれでいいんだ」に帰着してしまうと、危険。
そういう考え方で経済社会を動かして行こうとすると、色んな所で弊害が起きる。情緒で治世は成り立たない。
■《道徳ファシズム》の足音が忍び寄っている…
『道徳や偏見が、市政県政のレベルにまで入り込み、私たちの生活を無理やり変えようとしている。』
そうした構図は、
「仮想と現実のつかない子供が増えているから、規制を強化しなければならない」などとして、マンガやアニメ、TVゲームといったメディアがバッシングを受けている状況と、まったく一緒。
自らの道徳や偏見を政治に結びつけ、まさに官民一体となって、わずかでも好ましからざる物事を、身の回りから徹底的に排除しようとする。
■参考 【眼光紙背】深夜営業の自粛を求める人たちの目的は、CO2削減などではない URLリンク(news.livedoor.com)