11/05/12 21:45:52.28 BySf4FVp0
そういうものを「人権擁護」とは呼ばないのだ by Rex Murphy ナショナルポスト(カナダ)
URLリンク(www.ifpscanada.com)
*カナダの新聞、ナショナルポストに掲載された評論で鋭いものが。この評論は、最近カナダで拡大している
人権擁護委員会(ヒューマンライト・コミッション)の行き過ぎというか、ナンセンシカルな行動を批判しているもので、
例えばバンクーバーのコメディ・クラブのやった出し物(ジョーク)がネタにしたレスビアンの人の人権を傷つけたか
どうかで争われていると言った事件。
By some crude osmosis, or just from the luxuriant carelessness of our pampered lives, we have overturned one of
the great concepts of all human law. The concept of human rights, as experience and history inform us, is
protection from the state's power, not oversight, interference and punishment by the state's power.
人権を守る法というのは大変重要なものなのだけれど、歴史を学べば解るように、それは個人を国家の権力から
保護するもので、国家による個人への監視、干渉、懲罰を意味しない。
The core concept of human rights is the protection of the irreducible safety and dignity of the individual from the
massive and arbitrary power of the state. Not, the state wandering in, with its apparatus and procedures, its
boards and tribunals into the doings, or speech, of the individual. This is what the Guy Earle case, in its triviality
-- it's about heckling, remember -- upends. It perverts the name of "human rights," earned in blood and suffering
in circumstances of utter consequence and unspeakable misery.
人権擁護の中核的概念は国家の強大な、また恣意的な権力の行使からの、個人の安全や威厳の損なわれることが
あってはならない、ということであり、それは国家が組織や制度をもって個人の行動や言論に対して、行政委員会とか
裁判とかで干渉することを意味しない。「人権擁護」という名のもとに個人を黙らせることは人権の意味を貶める。
それは血と苦悩の犠牲よって悲惨さの中から獲得されてきたものなのだ。