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いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回。
いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、
他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。
体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。
同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。
「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。
◇3日間絶食
鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が
残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、
「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から
「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、」
警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の
救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)
と聞いている」と話した。
一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から
「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は
完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に
寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、
カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。
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