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1932年(昭和7年)に大阪国防婦人会が生まれた。主婦の安田せいさんたちが、誰の見送りもなく
ポツンと一人たたずんでいる若者(出征兵士)の姿に涙して始めたのだった。この運動はたちまち
大日本国防婦人会へ肥大化する。せっせと千人針を作り、慰問袋を贈り、若者を励まし、対外侵略
戦争へ送り出す彼女たちの背後に、軍需企業群と結ぶ大日本帝国軍がいた。とすれば声を出すまい、
口を閉じていよう。そしてこの国は奈落に転げ落ちた。原爆という悲惨を知った。
今日、再び原爆が落ちた。東京電力福島第1原子力発電所の破壊だ。明日も明後日も、私欲を
追求して飽きない政官業学の利権ゆ着構造によって造られた「安全」偽装の崩壊ゆえの、きわめて
皮肉としか言いようのない恐怖と苦痛が連綿と続く。すると、〝おびただしい数の安田せいさん〟が
先を争うように「がんばれニッポン!」を輪唱し始めた。
あの安田せいさんの涙は清かったと思いたい。だが、その涙は原爆悲惨へと舞っていく大日本帝国の
背を〝下〟から吹きあげるものだった。
ここは同意する